研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

「性的な自由」と「特別な他者」とのトレードオフ問題

どうも研究やら勉強やらをする気にならないため、軽い読み物を読んでみる。

ザ・フェミニズム (ちくま文庫)

ザ・フェミニズム (ちくま文庫)

印象的なやり取りを抜粋する。

上野 リブの原点は、そのような一夫一婦制のもとで相互に性的な帰属をするという制度そのものの抑圧性を問題にしたことにあったのにね。

小倉 リブはそうだったよね。

上野 うん。

小倉 女は、妻は夫の性欲の吐き出し口、便所だと。一人に一個便器があるんだと。夫にはそういう性的権利がある、と結婚制度を批判している。それはその通りです。

上野 うん。

小倉 ただ、リブを経てからもこれまでに結婚制度がこんなに残っているのは、多くの人にとって、性的な自由を確保したいということよりも、特別な他者が人間には必要だという欲求が強いからなんだと思う。

上野 そうかなぁ。

小倉 そうですよ。みんな、淋しいんです。結婚制度を否定すると、「じゃあ私たちはどうすればいいって言うの?」という疑問が絶対出てくるんです。

上野 じゃ、特別な他者を手に入れるために、自分の性的な自由は放棄してもかまわない、と。

小倉 かまわないと思ってしまうんでしょ、その時は勢いで。

上野 という契約になっているわけ?

小倉 最初のうちはね。でも、だんだん性的な自由が、婚姻制度の中にまで入ってくる。バレるとまずいと両方とも思っていたとしても、婚外恋愛はあたりまえのように行われてますよ。それは感情的な問題としてモメることあっても、結婚生活そのもの、恋人としての関係そのものを崩壊させるきっかけにはならない、ということはいくらでもあるわけじゃないですか。そうすると、結婚とは、要するに完全に排他的な独占契約というよりは、むしろプライオリティの独占契約だというふうに考えることができる。「私をいちばん大切にして」という欲望ですね。林真理子は結婚する時に、「この世でたった一人の見方がほしいためです」といって結婚したんですよ。痛切ですよね。

上野 それは幻想ですよ。現実じゃない。・・・・・・問題をこんなふうに立て替えたらどうでしょうか。幻想を選ぶのは弱者の選択というか、保身と考えましょ、それを否定するフェミニズムは「強者の思想」だとずっと言われてきました。だから「私たち一般庶民の、心弱い女には関係ない」と言われることについてはどうでしょう?

小倉 言いたい人の気持ちはよくわかる。フェミニズム・フォビアの根っこにあるのは、その種の恐怖です。フェミニズムが、たった一人でこの荒野を生きていかなければならないことを強いる思想だと思われているからです。今まで、専業主婦という守られた場所から出て、自由な世界という荒野に乗り出していきましょう、というところまでは、たとえ怖くてもやってみようという人たちがたくさん出てきましたよね。でも、特別な他者との関係もすべて手放して、たった一人裸で生きなさいというふうに言われると・・・・・・ああこわ〜となる。

上野 結婚生活も荒野なんです、実は。保守の思想は現実を隠蔽する効果を持っていますから、それを見せないようにしてるだけ。

小倉 その力はものすごい。それはよくわかります。

上野 私が言うのは、「結婚生活にとどまろうが出ようが、実はあなたが生きている現実と私が生きている現実はたいして違いませんよ。ただそれをありのままに認めるか認めないかだけの違いですよ」ということですね。だからそれを、強者のフェミニズムと言われる筋合いはない。

小倉 「正直者の思想」と言ったらどうやろか(笑)

上野 ハッハッハ、それはとてもわかりやすいわね。

そういえば昔、ゲイの友達がこんなことを言っていた。

「ゲイの世界は、ネットとかでの出会いの機会が多いし、異性間のような性的な規範も存在しないから、交際が非常に流動的で、一対一の関係が長続きしにくい。孤独な中年のゲイとかを見ていて、自分もそうなるのかと思うと少し怖い」(要旨)

そして、異性愛もそうなりつつあるのだろうか、過剰に流動的な関係性の中で、孤独に悩む人がますます増えるのだろうか、とかインテリきどりで議論していた記憶がある。結局、これからの社会において、「性的な自由」の開放と「特別な他者」関係の安定的構築とを同時に成し遂げられるのか、よくわからなかった。

男も女も、公然としたい相手とデートやエッチを楽しみながら、かつ特定の「プライオリティの一番高い特別な他者」との安定的な関係をも築いていく。そんな社会は、私は個人的には楽しそうだと思うけれど、あんまり上手くいっている光景が想像できない。みなさんはどう思いますか?