研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

記事メモ:機械浴は「風呂」じゃない?

機械浴は「風呂」じゃない?
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/kokoro/20061003ik09.htm

私たちが介護の仕事を始めた30年ほど前には、ケアの方法は本ではなく老人から学んだ。入浴ケアを教えてくれたのは、下田さん(仮名、当時79歳)という男性だ。

 私が働いていた施設が入浴サービスを開始した。その第1号として、保健師とヘルパーの付き添いでやってきて、5年ぶりに風呂に入って泣いて喜んでくれたのが下田さんだ。車いすには座れたが、5年間、ほぼ家のベッドで寝たきりの生活を送っていた人だから、施設の機械浴で寝たまま入浴するのが当然だと思っていた。

 ところがある日、保健師とヘルパーが下田さんを家の風呂に入れたいので手伝ってくれと言う。「一度だけでいいから、家の風呂に入りたい」という本人の希望をかなえたいというのだ。

 下田さんは右の手足にマヒがあって、車いすに乗り移るときに左の足で立ち上がるのがやっと、という人だ。でも、本人のたっての願いなら、3人がかりの全介助ででもやってみようと、昼休みに下田さん宅を訪問した。

 驚いたのは、下田さん一人の力で湯船に出入りできたことだ。小さな家庭用の浴槽だから安定もいい。

 それなら、施設に入っている大半のお年寄りも機械に頼らなくていいんじゃないか。

 でも、もっとがく然としたことがあった。それは、湯船で下田さんが言ったコトバだ。

 「ああ、久しぶりに風呂に入った」と。これまでやってきたのは「風呂」じゃなくて「人体洗浄」だったんじゃないだろうか。(三好春樹=「生活とリハビリ研究所」代表)
(2006年10月3日 読売新聞)

私は以前にこう書いたが、あながち間違いではないようだ。

この前テレビで、介護保険の下での高齢者に対する風呂巡回サービスの映像を見た。テレビの中では、移動式の浴槽に浸かった寝たきりの男性高齢者が、介助者と思われる女性に三人がかりで体を洗われていた。男性は体は不自由だが、頭のほうはまだまだしっかりしているようだった。しかし、男性はまったく受動的に、なすがままに、体を洗われていたのだ。

おいじいさん、あんたまるでモノのように扱われているじゃないか、と私は思った。しかし、ナレーションはなんだか「ほほえましい介助の現場」という感じで、その情景を伝えていた。

『障害者福祉・介助・介護についてのメモ』
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050308


上記の記事の執筆者(三好春樹氏)が書いた一連の記事はこちら。そのすべてに共感するわけではなさそうだが、勉強になりそうだ。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/kokoro/


関連記事:もう一年以上も前に書いたものですが。

『障害者福祉・介助・介護についてのメモ』
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050308

『介護者の専門性と被介護者の専門性(というか当事者性)』
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050812#p1