研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

「ニーズ」研究に関するメモ。

最近は介護保険財政とか実証分析とか、そっち方面のことを重点的にやっていたのだが(たいしたものではないけれど、そのうち時期が来たら紹介する予定)、ちょっと一段落したので、かねてから気になっていた「需要」と「ニーズ(必要)」の関係を整理しようと、「ニーズ」概念に関する文献探しの続きを始めた。「需要」概念は「ニーズ」概念に比べれば理論的にかなり明確なので、とりあえず文献を探す必要はないだろう。そんなに主なターゲットは経済学、社会学社会福祉学。ただ、あまり深く突っ込む余裕はないだろう。

経済学で「ニーズ」や「必要」に関してどのような議論があるのか、まだあまり把握していない。厚生経済学の社会的厚生関数の概念とかセンのcapability理論は間違いなく、人間の「ニーズ」と関連する研究だろう。ちなみに、厚生経済学が学問的ベースの後藤玲子の『正義の経済哲学』の第二章は、名前からして「自由と必要」であり、第三章は「必要に応ずる分配準則の定式化」だ。ここらへんは多少はフォローする必要があるし、これらの理論を踏まえた実証研究もそれなりにでてきているらしい。ただ、先進国の社会保障や介護保障に関連した研究があるのかはわからない。

財政学や公共経済学ではどうか。公共経済学における公共財の概念は、非競合性と非排除可能性という財の性質から導き出される概念であり、基本的には「ニーズ」概念とは無関係の概念だ。ただ、そんなことはない、という話もちょっとはあるようだ。一方、マスグレイブは「公的欲求」という話をしていて、それをさらに「社会的欲求」と「価値欲求」に分け、価値財(merit goods)の概念を提示した。これは厚生経済学の議論と絡んで、その後いろいろ議論がされているようだ。価値財の概念は公共財の概念と比べるとけっこう曖昧で、「ニーズ」概念と関連するところがありそうだ。

一方、社会学ではどうか。イギリス社会学には長い貧困調査の歴史があり、peter  towmsendとかalan walkerとか、いろいろ理論的な議論もしてるし、調査もたくさんある。「ニーズ」概念についても、きっといろいろ言ってるし、alan walkerの『the caring relationship』(未読)という調査研究本にはその名のとおり「the need for care」という章がある。ちなみに、tonwsendやwalkerを含むイギリスの貧困研究の歴史については、最近でた橘木・浦河『日本の貧困研究』〔未読)の第二章「先進国の貧困」でも言及されている模様。あと、貧困と介護と聞くとすぐに結びつかない人もいるかもしれないが、townsendやwalkerの貧困研究は、その当初から高齢者研究と密接な関係があり、介護は常に主要な検討・調査対象の一つのようだ。あとはティトマスの「社会市場」の概念も、「ニーズ」概念と直接的なかかわりがあるっぽい。また、この流れと一部かぶるところにイギリス障害学があることも忘れてはいけない。こんなにたくさんフォローできんな。

それにしてもtownsendの古典的作品『Poverty in the United Kingdom』(未読)が日本語訳されていないのはマジでもったいないのではないか。たしかに単著のくせに1215ページ(!!)の本書を訳すのはかなり骨がおれると思うが、これを原著で読むのもかなり骨が折れる。まぁヒマを見つけてつまみ読みするしかない。

あと、社会学と一部かぶるけど、社会福祉学では「ニーズ」概念はかなり議論されている模様。たぶん、学問として「ニーズ」研究に一番エネルギーを割いているのはここの人たちだろう。一応、日本語の最も有名な文献としては三浦文夫の『社会福祉政策研究』がある。ちなみに、京極高宣の『社会福祉学とは何か』にも「福祉ニーズと福祉需要」という章があり、それなりに参考にはなるが、いかに社会福祉学においてこの二つの概念が理論的に整理されてこなかったのかがよくわかる。経済学の理解水準も低い。

これらの数少ない社会福祉学の文献だけから判断するのは危険だが、社会福祉学における「ニーズ」と「需要」概念の混乱・混同の原因は、おそらく、「ニーズ」そのものの捉えにくさという長年の問題の他に、「需要」概念が融通無碍に使われているせいもある。

標準的な経済学理論では、「需要」は価格がないと成り立たない。需要関数がx=D(p)とかx=D(p,I)と表されるように、需要xは価格pや所得Iの関数なのだ。一方、社会福祉学では、「需要」という言葉は、ときに「ニーズ」、ときに「欲求」、ときに経済学的な「需要」と、様々な意味で使われる。たしかに、もともとdemandは、手元の辞書では「to ask strongly for something,especially because you think you have a right to do this」とあるように、なんらかの根拠や権利に基づいて「要求」する、という意味だから、経済学的な「需要」の定義はあきらかに本来のdemandの意味からしたら限定的だし、社会福祉学的な「需要」の使い方が間違っているわけではない。

だけど、特に学問の世界では、言葉の定義を厳密に限定していかないと、きちんと議論もできない。この際、「需要」という言葉の定義は経済学に従って、それとは異なる概念として対比させながら「ニーズ」という概念をきちんと考えていくほうが生産的ではないが。そういうきちんとした研究もきっとあると思うが、京極本とか読んでるとなんだかなぁと思う。しかも自画自賛してるし。こういういいかげんな議論の仕方が、今の自立支援法議論・介護保険議論にも繋がっているのではないかと邪推したくなる。(知らない人にいっておくと、京極氏は厚生労働省の各種審議会で大変ご活躍なさっているお人です)

ただ、社会福祉学(or社会老年学)には重要な貢献も多くある。例えば、東京都老人総合研究所が昔から継続的に行ってきた介護サービスニーズの調査研究。その決定版は、東京都老人総合研究所福祉部門編『高齢者の家族介護と介護サービスニーズ』としてまとめられている。もちろん調査をするにあたって、介護ニーズの概念的検討もなされている。この系列の研究はただのニーズ研究に留まらず、介護費用推計にまで及んでおり、「社会福祉計画」という社会福祉学の一分野と重なりながら、各自治体の介護保険事業計画の策定にも一定の影響を与えている。財政的な観点からも重要な研究だ。

あと、「ニーズ」概念を離れて、要介護状態の測定とか家族の介護負担の測定とかの研究は、「公衆衛生雑誌」という雑誌などを中心に、保健医療や看護学の分野にもたくさん研究がある。さらに最近は、この分野にミクロ計量経済学の人たちが参入しつつある。

ちょっと話が広がりすぎたので、「ニーズ」概念の話にもどると、例えば山森亮の以下の短い2論文はいろんな分野に目配せしていて参考になる。

 「必要と福祉 〜福祉のミクロ理論のために(1)〜」 『季刊家計経済研究』 38号, 56〜62頁, 1998年4月

 6. 「必要と経済学 〜福祉のミクロ理論のために(2)〜」 『季刊家計経済研究』 39号, 57〜62頁, 1998年7月


最後に、日本の介護ニーズに関わる研究について、私の個人的感想を3つほど。まだ網羅的にサーベイしたわけではないので話半分に聞いて欲しいです。

第一に、「ニーズ」概念は、たしかに経済学における「需要」概念よりも多義的だし曖昧だし、とらえどころがない。だけど、だからといって「ニーズ」なんてものはない、とか「ニーズ」を学問的に考えても仕方がない、ということはなさそうだ。「ナショナルミニマム」という経済学者や社会政策学者や為政者が良く使う概念だって確実に「ニーズ」概念を内包しているし、「施設よりも普通の家での生活のほうが基本的に好ましい」という多くの人が同意するであろう議論も、きちんと考えようとすると、障害者や高齢者の介護ニーズとは何か、という問題を避けては考えることはできない。

第二に、一方で、ニーズ研究やニーズに関係してきそうな研究に関しては、分野ごとに、やってることや考えていることが、違うような、違わないような、なんだかよくわからない状況。もう少し整理が必要。

第三に、日本には、townsendやwalkerに該当する部分の人たちがいない気がする。これは大きな問題。個人的には、介護「ニーズ」概念に関して最も進んだ検討を加えているのは、社会福祉学、社会老年学、経済学、保健医療の分野ではなく、社会学や障害学だと感じている。最近ごぶさただけど。(もちろん、これらの分野の境界ははっきりしたものではないし、もしかしたら不毛かもしれない。その悟った場合にはこういう風にわけるのはやめます)。だけど、山森氏も立岩氏もそうだけど、日本でここらへんを研究している人たちは思想系が多くて、実証研究や調査研究をやる人が少ない。確かに、ミクロ社会学的なフィールドワークとかは少数いるにしても、統計調査とかいない気がする。(いたら教えてほしい)。townsendやwalkerは理論的検討もフィールドワークも統計調査も、全部やっている。こういう人たちがいるからこそ、イギリス社会学(社会政策学)は、それなりの学問的な方法論や問題意識の継承と調査研究の積み上げをできているのではないか。まだよくわからないけど、そういう予感を持っている。確かにそういう継承や積み上げがあるからといって世の中がよくなるわけではないかもしれないが、ないよりあったほうがいい気がする。

今回もしったかに基づいていろいろ書いてしまったけど、これを出発点として、ヒマを見つけていろいろ考えていこう。でも気をつけないと拡散しっぱなしになってしまう。文献リンクは気が向いたらやります。