研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

『「改革」のための医療経済学』

>>

「改革」のための医療経済学

「改革」のための医療経済学

著者は、北海道大学の医学部を卒業して臨床研修を行ったあと、ハーバード大学で医療政策・管理学の修士号を取得してジョンズ・ホプキンス大学で医療経済学の博士号を取得して現在はロチェスター大学で助教授を務める医療経済学者である。

第一章「忙しい読者のための総括」だけでも、医療政策や医療経済学に関心のある人には必読だと思われる。実は自分も、いま第一章を読んだばかり。全章の内容が要約されている。

まず著者は、「医療費高騰の犯人探し」としてよく挙げられる①人口の高齢化、②医療保険制度の普及、③国民所得の上昇、④医師供給数増加(ないし医師誘発需要)、⑤医療分野と他の産業分野の生産性上昇格差は、いずれも「小物」であることが定量的に確認されており、おそらく定量的な測定が不可能な「医療技術の進歩」が主犯である、という医療経済学上の結論を紹介する。これは本書における最も重要なメッセージの一つだと思う。

「医療費の高騰の最大の要因は高齢化ではなくて医療技術の進歩である」ということは、医療経済学をかじったことのある人にはある程度知られたことではあるが(もちろん異論もあるだろうけど)、このような有力な説があること自体、多くの人に知られていない。だから、一般向けの本でこのようにきちんと書かれるのはいいことだと思う。

ただし、これらの結論はいずれも米国を中心とした欧米諸国の研究から導きだされたものである。日本では米国に比べて医療費高騰の要因を厳密に測定するためのデータが圧倒的に不足していることから、今も医療保険制度(とくに自己負担率)や医師誘発需要などが医療費高騰に与える影響が計量分析の主要な対象になり続けている。

もちろん、日本での計量分析においても、自己負担率の上昇がコスト抑制に与える影響はあまり大きくないのでは、との結論が一般的であるみたいだ(需要の価格弾力性は総じて小さい値を示す)。これは自分自身の受診行動とは一致しないけど笑。

また、医師誘発需要(患者と医師の間の医学的知識の差を利用して、医師の利益を優先して必要性の低い医療を提供(医療需要を誘発)すること)に関しては、日本でもその存在がいくつもの先行研究で確認されている。しかし、この本の著者がいうように、誘発需要が他の要因と比べてどの程度マクロの医療費高騰に寄与しているのかはあまり研究されていないのかもしれない。ただ私はまだまだ門外漢なので、あまり断定的なことは言えない。(日本の医療経済学の実証研究の動向については、井伊・別所(2006)「医療の基礎的実証分析と政策:サーベイ」『フィナンシャルレビュー』Marchが参考になる。)

少し話がずれたが、他にも予防医療や営利病院や営利保険や介護費用に関する通念と異なる実証結果がいろいろ紹介されている。また、一般向けの本なのに、各章ごとに引用された多くの医療経済学の専門文献が記載されているため、興味のある人や医療経済学を志す人は、さらに深く学ぶこともできるようになっている。

あと個人的には、経済学者にありがちな悪しき「価値自由」を安易に信奉せず、次のようにはっきり言うところもいいことだと思う。(それにしても、実証研究ならともかく、政策提言や政策論争でも「価値自由」を装う経済学者がいるのはなぜだろうか。)

もちろん、政府が政策研究に必要なデータを収集・公開するまでに、ただちに始められることは数多くあります。その1つは、抜本的な制度改革のデザインに参加する前提として5章1節で述べるように個人として理念・価値基準を明らかにしておくことです。なぜなら、政策の選択は、理念・価値基準の選択であると言えるからです。(p.35 太字部分は、原文では下線部分)