研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

マル激メモ:「日本経済の復活のための処方箋」

マル激トーク・オン・ディマンド 第460回(2010年02月06日)
日本経済の復活のための処方箋
ゲスト:池尾和人氏(慶應義塾大学経済学部教授)
http://www.videonews.com/on-demand/451460/001356.php

マル激は、毎回長すぎるので全く見なくなっていたが、最近メールマガジンを購読できるようになったのでそっちに切り替えた。これなら5分たらずでだいたいの内容をチェックできて効率的。そこで最新号よりさっそく引用。

宮台: 産業構造の変革が遅れ、売れるモノを作っていないのが問題で、余剰の生産設備を埋める需要を喚起しようとする財政出動は馬鹿げている──これは、池尾先生の著書を読めば納得できますし、考えてみれば子供にも分かる理屈で、広く浸透しないのが不思議です。小宮隆太郎先生の言う「原始的なケインズ主義」、つまり「不況期には政府支出や金融緩和で需要を喚起すべし」という発想は、20〜30年前にアメリカでもヨーロッパでもなくなりましたが、なぜ日本には根強く残っているのでしょうか?

マル激!メールマガジン 2010年2月10日号より(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/

自分が最近学んだマクロ経済学の教科書(基本ニューケインジアン。マンキューではない)は現代的なニューケインジアンモデル(ISカーブ、フィリップスカーブ、最適金融政策ルールを中心としたモデル)を中心的に扱っており、インフレターゲットを含む金融政策は教科書全体の中心的な話題の一つだ。不況期に政府支出や金融緩和すべしとという発想がなくなったなんてことは、アメリカでもヨーロッパでもありえない。

それにしてもマクロ経済学は、テストでいい点とっても、現実の金融・財政政策論争の是非を理解したり自分のポジションを定めたりするには全く足りない(もちろん自分の能力不足やセンスの問題も多分にあるだろうし、専門家からすれば当たり前だろナメんなという感じだろうが)。私はこの分野を専門にする予定はないし、専門でない分野について専門家並みの知見を習得するだけの能力は持ち合わせていないので、金融政策についてのポジションを自信を持って確定するのはたぶん一生無理だ。

だが、金融政策をめぐる昨今の議論で面白いのは、マクロ経済政策をめぐる非専門家のポジションを見ることによって、多くの知識人・言論人(そして研究者)にとって、己の思想・願望・あるいはある特定の立場からの現状認識(例えばここでは「宮台社会学」的観点からの社会経済認識)が、本来自分の知識・能力では判断が及ばないであろう事柄についての現実認識(ここではマクロ経済政策論争)に投影されるということはやはり避けがたいことだということが比較的はっきりと分かることだ。

なぜかというと、金融政策が効くか効かないかといった論争は本来は比較的価値中立的で技術的なものだが(これは数ある政策分野の中でも珍しいほうではないか)、金融政策が効く場合と効かない場合にとるべき処方箋およびその帰結としての社会のあり方は価値中立的ではない部分も大きいため、特に非専門家においては、その社会的帰結の好ましさから逆に金融政策それ自体の効果をめぐる事実判断も選好している様子がみてとれるからだ。

(例1:既得権益けしからん⇒既得権益が日本経済をダメにしている⇒小手先の金融政策はこの問題を解決しないし、既得権益排除を含む抜本的構造改革が必要だ⇒リフレはナンセンス。例2:抜本的な改革は社会に大きな摩擦を生じさせるので漸次的改革が好ましい⇒金融政策によってデフレ脱出して景気回復を果たして全体を底上げしつつ、少ない痛みで必要なところを漸次的に改革するのがよい⇒リフレ政策は効果あるはず。日銀けしからん*1

ここで取り上げた宮台真司もそうだし、逆にリフレ派の急先鋒となった勝間氏や、最近リフレ派と急接近した人文系知識人についてもある程度同様のことが言える。もちろん専門・非専門の境界は曖昧だし、個々の知識人・言論人のコミットメントや自分のポジションへの自信度・懐疑度の程度にはグラデーションがあるので簡単には括れない。それにこのような言論的・思想的なムーブメントは(社会)科学的な正しさによってのみ動かされるべきというわけではないので、(上記宮台氏のような明らかな事実誤認・事実の矮小化を除いて)単純に批判されるべきでもないと思う。

ただ、言論で商売している人(もちろん政治家も含む)にとってはある程度のしったか、訳知り顔は商売道具の一つなのはいいとして、このような現象は、社会・経済にとってどういうインパクトを持つのだろうか(ほとんどないかもしれないが)。いずれにせよ、こういうメタ的な、知識社会学的な事柄を実証的に分析するというのは面白いと思うが、記述的・歴史的な分析に加えて、統計的・計量的な分析対象にもなるだろうか。さしあたりテキストマイニングくらいしか思いつかないけど。自分はやらない(やれない)が、日本を対象にこういうことを本格的にやってくれる人がいたら、それは興味深いものになりそう。

日本の「失われた20年」におけるマクロ経済政策論争は、そういう意味でも興味深い分析対象だが、不幸なことにまだ現実も論争も決着がついてないので、まずはそれをなんとかしてほしい。完全外野席なわけだが、ただただわからないのでこればかりは仕方ない。

*1:ちなみに私は例1と例2なら例2に近いが、どちらにせよあんまり知的に厳密・誠実ではないのは明らか。