研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

「機会の平等」についてメモ

日本では本当に機会の平等が担保されているか
http://stjofonekorea.blog6.fc2.com/blog-entry-1402.html

良いエントリだと思ったので紹介。私は「日本における形式的な機会の平等は素晴らしい」とまでは思わないが、とりあえずそれは置いておいてメモ。

自立心や困難に打ち克つ力は、自己肯定感に依存すると云われています。その自己肯定感は、決して自分自身で得られるものではなく、親や周囲の大人から認められることを通じて得ていく場合がほとんどです。特に都市部のようにコミュニティがほとんど機能していない状況で、かつ、親がろくでもないと、こどもは自分がなぜ世の中にいるのか、確認できる機会をほとんど持つことができません。

その最たる例が、児童養護施設にいる3万人の子どもたち。子どもたちが施設に入るまでの物語ひとつひとつを聞くと、身の毛のよだつ思いがします。親から大切にされることなく、コミュニティのたすけもなく育つ子どもたちは、自分の存在意義を見いだせない場合がほとんど。同じような問題は、日本のいわゆる底辺校でも起こっています。「ドキュメント高校中退」という本は、この恐ろしい実態を描いています。

この子どもたちが、他の普通の家庭に育った子どもたちと同じスタートラインに立たされ、同じレースをさせられるとしても、日本では機会の平等がある程度担保されているといえるのでしょうか。生まれた境遇ゆえに人生に意義を見出せず中退していく高校生に、「努力をしていない弱者に、手をさしのべる必要はないと思う」というのは、妥当なことなのでしょうか。僕は否と思います。

児童擁護施設の子どもたちの話は、私は現場経験もフィールドワーク経験もなければ、本も論文もあまり読んだことはないが、知り合いが1人2人フィールドワークをしていたので、ちらほらと聞いたことがある。この3万人の児童に加えて、児童養護施設に入るには至らなくても厳しい状況にいる子どもたちもかなり多くいることも忘れてはいけない。こういうことを考慮せずに、奨学金や教育(費)の形式的なアクセスの平等性、競争の公平性だけを見ても機会の不平等の実態は見えてこないだろう。

また、こういうことを考慮し始めると、機会の平等だけでなく結果の平等の重要性や、これらの概念だけでは捉えきれない公正や平等の問題についても考えざるを得なくなる。

関連エントリ

もう少しあった気もするが、検索ではあんまり見つからなかった。追加整理するかも。

子どもの最貧国・日本
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20081001#p1

後藤玲子「正義と公共的相互性」に対する吉原直毅氏のコメント
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20060711#p2