【告知】政府統計のミクロ計量分析ワークショップ:行政・税務データの活用に向けて
近年、日本においても政府統計の個票を二次利用によって活用した経済学研究が浸透し、多くの研究成果が蓄積されつつあります。しかし、北欧諸国などを中心に諸外国で使用が増加している行政・税務統計の個票の研究利用は依然として難しい状況で、一部の地方自治体の行政統計の活用の試みはあるものの、日本は大きく遅れをとっています。そこで本ワークショップでは、日本の二次利用統計や自治体の行政統計の個票を用いた研究を行なっている研究者や、海外の行政統計の個票を用いた研究を行っている研究者による研究交流を行います。また今後の日本における行政・税務統計の活用の意義・可能性や、政府や行政への働きかけを含めた研究者のアクションの方向性について議論します。
日時:2019.11.28(木) 13:00-18:00
場所:立教大学 池袋キャンパス12号館2階会議室
プログラム
第一部:研究報告 (13:00-17:20)
13:00-13:40 安藤道人(立教大学) 浦川邦夫(九州大学)
Income and housing poverty: Multidimensionality, heterogeneity and nonlinearity
13:40-14:20 高久玲音(一橋大学)
Career Trajectory as a Determinant of Household Wealth Accumulation and Later Health
14:25-15:05 中室牧子(慶應義塾大学)
教育における行政データ収集と問題点
15:05-15:45 別所俊一郎 (東京大学)
税務データと地方政府の行政データの利用可能性
15:45-16:00 コーヒーブレイク
16:00-16:40 田中聡一郎(関東学院大学)
Middle class and Redistribution policy in Japan
16:40-17:20 角谷和彦 (独立行政法人経済産業研究所, RIETI)
Accumulating Effects of Income Taxes on Pre-tax Hourly Wages: Evidence from a Danish Tax Reform
第二部:行政・税務データ活用についてのディスカッション (17:25-18:00)
17:25-17:35 問題提起
17:35-18:00 ディスカッション
18:30 懇親会
担当者:安藤道人(立教大学経済学部)
※小さな会場であるため、人数把握のために、参加希望の方は下記フォームよりあらかじめご連絡頂けると助かります(原則、返事は致しません)。懇親会への参加希望の方は、その旨を下記にお書きください。すでに安藤に連絡して頂いた方は本フォームはスルーして頂いて結構です。
『福祉国家と社会保障の実証分析:日本についての研究を中心に』(『経済セミナー』寄稿記事)
2018年4・5月号の『経済セミナー』に「福祉国家と社会保障の実証分析——日本についての研究を中心に」という文章を寄稿した。
そのドラフトのウェブ・ブログ掲載についても許可を頂いていたのだが、怠惰にも1年近くたってしまった。ドラフトのPDF版もアップしたが、本ブログには全文コピペする。そのうち、この記事の背景にある問題意識について何か書きたい。
Dropbox - 180220Keisemi_welfare_draft.pdf
「福祉国家と社会保障の実証分析——日本についての研究を中心に」
(『経済セミナー』 2018年4・5月号 通巻 701号 掲載記事ドラフト)
安藤道人 2018.2.20
1. はじめに
「福祉国家」と「社会保障」は似て非なる概念である。両者はともに「税金や保険料を財源に、年金・医療・介護・保育・生活保護などのための公的給付を行う」という国家のあり方を指すものの、前者は社会保障制度を有する国家全体のあり方を思い起こさせるのに対し、後者は個別の社会保障制度を想起させる。また、「福祉国家や社会保障は何の影響を受けているのか」という問いと「福祉国家や社会保障は何に影響を与えているのか」という問いも異なるものである。前者は福祉国家や社会保障そのものの形成・成立過程を主たる関心としているのに対し、後者は福祉国家や社会保障がどのような社会的・経済的帰結に繋がるのかに興味を抱いている。
本稿では、「福祉国家は何の影響を受けているか」(問A)と「社会保障は何に影響を与えているか」(問B)という二つの問いについて、経済学や隣接社会科学での実証研究(とりわけ日本についての研究)を紹介し、その意義を伝えたい。また問Aと問Bの関係や、最近の経済学研究ではどのようなテーマの研究が多いのかについても言及する。
また本稿では、あえて学術論文を中心に取り上げる。多くの入門書・教科書・学術書に記載されている事柄は、学術論文という形で最初に発表されることが多いため、初学者にもそのような学術研究の雰囲気の一端を感じて頂きたい。なお本稿で取り上げる研究は、福祉国家や社会保障についての膨大な研究のごく一部の切り取りである。そしてこれらの研究の分析結果は「確固たる真実の発見」ではなく、常に再検証されるべき暫定的知見であることも留意してほしい。
2. 本稿では議論しないこと
本論に入る前に「本稿では議論しない重要なこと」について簡単に触れたい。それは福祉国家および社会保障の制度的・時事的側面と経済理論的側面である。まず日本の社会保障の制度的・時事的側面については、近年次々と出版された元厚生労働省官僚の本(中村 2016, 2017, 香取 2017, 山崎 2017)や、昨今の社会保障改革に深くかかわってきた経済学者による解説書(権丈 2017, 2018)などが有益である。経済理論的側面については、経済学理論の観点から社会保障を解説した教科書として林・小川・別所(2010)、Barr(2012),小塩(2013)、駒村他(2015)などがあり、これらの本をミクロ経済学やマクロ経済学の入門書を通読した後に読むとよい(なおBarr(2012)の翻訳はないがBarr(2001)の翻訳がある)。これらの本や、これらの本で言及されている様々な異なる立場の「社会保障論」を手広くマッピングして、社会保障についての自らのスタンスを定めることが大切と考える。
3.福祉国家は何に影響を受けているか(問A)
それでは「福祉国家は何の影響を受けているか」(問A)というテーマに入ろう。ここで「福祉国家」とは、「一定規模以上の社会保障制度を有する先進諸国」程度の意味で用いる。このテーマについては、経済学・政治学・社会学で多くの理論的・実証的研究が行われてきた。本稿では、戦前についての計量経済史の有力研究であるLindert (1994)、戦後についてはEsping-Andersen(1997)を取り上げる。
まず、著名な経済史研究者ピーター・リンダート(カリフォルニア大学デービス校教授)による先駆的業績であるLindert(1994)は、1980年から1930年という福祉国家の萌芽期において、当時の先進諸国の社会的給付(福祉、失業、年金、医療、住居への公的給付)の上昇を支えた要因が何であったのかを分析している。具体的には、1980年から1930年までの欧米や日本などの21か国のパネルデータを収集・整理し、これらの国々の社会的給付の水準の動向を把握した上で、様々な回帰分析によってその決定要因を検証している。
この研究の重要な分析結果は、第一に、戦前期の社会的給付の水準はイギリスやドイツなどの「福祉国家の先駆」とみなされる国よりもデンマークやノルウェーなどの北欧諸国のほうが(少なくとも1920年代半ばまでは)高水準であったことであり、日本やアメリカは(戦後と同じく)低水準であったことである。第二に、このような社会的給付水準の要因としては経済水準や経済成長よりも民主主義(投票率や女性の投票権など)、人口高齢化、宗教が重要であったことである。さらにこの論文では、戦前の日本について、経済水準はもとより人口高齢化や民主主義も進んでおらず、それら全てが低水準の社会的給付の要因であったと言及している。なおリンダートの一連の研究はLindert(2004)としてまとめられている。
次に、戦後の日本の福祉国家のあり方を論じたEsping-Andersen(1997)を見てみよう。この論文は、近年の福祉国家研究に多大な影響を与えた社会学者であるイエスタ・エスピン=アンデルセン(ポンペウ・ファブラ大学教授)の古典的研究であるEsping-Andersen(1990)を踏まえた、日本についての研究である。Esping-Andersen(1990)は、その後のEsping-Andersen(1999)と合わせて福祉レジームの3類型論(社会民主主義、自由主義、保守主義)を打ち出した実証的研究として知られている。しかしエスピン-アンデルセンの一連の福祉国家研究は、ただの類型論ではなく、労働者階級が農民階級やホワイトカラー層などを政治的に取り込んで社会民主主義的な政治勢力を形成できたか否か、そしてその結果として新中間階級がどのような政治的立場をとったか、といった階級連合のあり方こそが福祉レジームの分岐にとって重要だったという考え方(権力資源論)を1つのベースとしている。
このような観点から日本の福祉国家のあり方を論じたEsping-Andersen(1997)を見てみよう。この論文の結論を要約すれば、「日本の福祉国家のあり方は自由主義(例えば選別的・残余的な福祉システム)と保守主義(例えばコーポラティズム的な職域別の社会保険や家族主義的な社会制度・労働市場)の混合物のように見えるが、日本の福祉システムはまだ発展途上であり、結論を下すのは時期尚早である」というものである。日本型福祉国家の形成要因については明示的に触れられていないとはいえ、社会民主主義的な政治勢力の欠落によって普遍主義的・社会権的理念が弱く、コーポラティズムや家族主義に基づく職業的・身分的・性別的分断がみられるという日本の福祉国家理解は今なお示唆に富む。
4. 社会保障は何に影響を与えているか(問B)
次に「社会保障は何に影響を与えているか」(問B)というテーマに移ろう。このテーマは経済学では伝統的なものであるが、近年、分析手法の方法的発展が進んだことにより、急速に実証的知見の蓄積が進んでいる。ここでは医療、介護、保育という3つの領域における近年の日本の研究を1つずつ紹介したい。なお以下の3論文の分析手法の説明は、あくまでそのエッセンスの紹介であることに留意されたい。
まず医療については、近藤絢子(東京大学准教授)と重岡仁(サイモンフレーザー大学助教授)によるKondo and Shigeoka (2013)を取り上げる。この論文は、1961年に達成された「国民皆保険」政策が、日本の医療サービス利用・供給にどのような影響を与えたかを分析したものである。本研究の分析デザインは、国民皆保険実現前の健康保険の被保険者割合が低く皆保険達成によって被保険者割合が大きく(強制的に)引き上げられた都道府県における医療アウトカムの変化と、もともと被保険者割合が高くて皆保険達成による被保険者割合の上昇があまりなかった都道府県の医療アウトカムの変化を皆保険達成前後に渡って比較するというものである。その結果、皆保険達成が、医療サービスの利用水準の上昇やベッド数にプラスの影響を与えた一方、病院数、医師数、看護師数などへの影響は明確ではなかったという分析結果を得ている。
次に介護については、日本の介護保険の導入が介護を必要とする家族がいる人々の労働参加に与えた影響を分析した、富蓉(早稲田大学助手)らの研究チームによるFu et al.(2017)を紹介する。2000年から施行された介護保険は、前段で紹介した健康保険とは異なり、もともとどの地域にも公的介護保険が存在しなかったところに全国一律で導入された。したがってKondo and Shigeoka (2013)のような「もともとの被保険者割合の地域差」を利用した地域間比較の分析を行うことはできない。そこでFu et al.(2017)は、「2000年の介護保険の導入によって、要介護状態の家族がいた人々の労働参加率の変化が、そうでない人々の労働参加率の変化と比較してどう変わったか」という分析を行っている。その結果、介護保険の実施によって要介護状態の家族を抱える人々の労働参加率は上昇したとの結果を得ている。また本論文は、同様の分析アプローチによって、2006年の(介護保険支出の抑制を一つの目的とした)介護保険改革が要介護家族を抱える女性の労働参加率を減少させたという分析結果も得ている。
最後に保育については、保育所が子どもの発達に与える影響を分析した山口慎太郎(東京大大学准教授)らのYamaguchi et al.(2017)を取り上げる。医療や介護と異なり、そもそも保育においては、新しい制度の導入という歴史的画期が近年の日本には存在しない。そこで本論文は、2000年代における保育所の供給量の伸びや入りやすさの変化に地域差があるという事実を利用しつつ、保育所に入所した児童としなかった児童を比較した分析を行っている。その結果、保育所への入所が、幼児の言語発達および低所得層においては幼児の心理発達や母親の子育て・生活の質などにプラスの影響を与えることや、保育所のプラスの効果をより享受できるはずの層ほど保育所に入所しない傾向があるという知見を得ている。
5. 問Aと問Bの関係および近年の経済学研究の動向
ここで問Aと問Bの関係について考えてみよう。この2つの問いには、2つの違いがある。第一に、問Aでは福祉や国家は社会・経済事象の結果と捉えられているのに対し、問Bでは社会保障は原因と捉えられている。第二に、問Aでは福祉国家という国家のあり方に関心があるのに対し、問Bでは社会保障の個別政策が検証対象となっている。つまり、これらの違いを踏まえれば、「社会保障(の個別政策)は何の影響を受けているのか」(問A’)および「福祉国家は何に影響を与えているのか」(問B’)というテーマもあることが理解できる。紙面の都合で紹介できないが、実際、問A’や問B’に関する実証的研究も多く存在する。また社会保障の個別政策は福祉国家の一翼を担っていることを踏まえれば、問Aと問A’や問Bと問B’の間には明確な境界線はないとも言える。
ただし、これらの研究テーマの違いは、単に研究者の関心対象の違いのみから生じるわけではない。例えば、近年の多くの計量経済学的研究は問Bに集中している。これは、問Bの範疇に属する仮説に答えるための分析手法(ミクロ計量経済学における政策評価分析や統計的因果推論)が大きく発展したことと関連している。また、その発展も踏まえたいわゆる「エビデンス・ベーストの(証拠に基づく)政策立案」の重要性が喧伝されていることから、今後も問Bに属する経済学的研究が増えることが予想される。
6. おわりに
ここまで、経済学の実証研究を中心に、福祉国家や社会保障と社会・経済事象の因果関係についての研究を紹介してきた。最後にこれらの研究の社会的意義について述べたい。
第一に、日本の福祉国家のあり方の背景として、民主主義の未発達や人口構造(戦前)や社会民主主義の政治勢力の欠落やコーポラティズムや家族主義に基づく職業的・身分的・性別的分断(戦後)などが指摘されてきた。今や世界一の高齢社会国家となり社会的支出の水準もOECD平均を上回りつつある日本は、有力な社会民主主義勢力を欠いたまま、社会保障制度における各種の分断や限界を乗り越えることを迫られている。日本の福祉国家形成において重要な役割を果たしたファクターを絶えず再検証し、今後の改革の方向性や可能性を探るにあたって、これまでの福祉国家研究は重要な道しるべとなると思われる。
第二に、個別の社会保障政策の政策効果の研究蓄積が進むにつれて、医療・介護・子育て・貧困などの様々な領域での制度導入・廃止・拡大・縮小が多様な社会・経済的アウトカムに与える影響のあり方やその大きさがより詳細に明らかになることが期待される。とりわけ、時事的に問題となりやすい社会保障の財政負担のみならず、受益者本人、家族(とくに女性)そして子どもに与える広範な影響や、それらが再び社会・経済に与える影響の解明は、今後の社会保障政策の方向性を市民・政治家・官僚らが検討・決定する際の重要な判断材料を提供するはずである。
参考文献
駒村康平、山田篤裕、四方理人、田中聡一郎、丸山桂(2015)『社会政策 福祉と労働の経済学』、有斐閣
林正義、小川光、別所 俊一郎 (2010)『公共経済学』、有斐閣
小塩隆士(2013)『社会保障の経済学 第4版』、日本評論社
権丈善一(2017)『ちょっと気になる社会保障 増補版』、勁草書房
権丈善一(2018)『ちょっと気になる医療と介護 増補版』、勁草書房
香取照幸(2017)『教養としての社会保障』、東洋経済新報社
山崎史郎(2017)『人口減少と社会保障 孤立と縮小を乗り越える』、中央公論新社
中村秀一(2016)『社会保障制度改革が目指しているもの―内閣官房社会保障改革担当室長として考えてきたこと』年友企画
中村秀一(2017)『2001‐2017年 ドキュメント社会保障改革―「年金時代」186本のコラムが語る』年友企画
Barr, N. (2001). The welfare state as piggy bank: information, risk, uncertainty, and the role of the state. Oxford University Press. ニコラス・バー(2007)『福祉の経済学―21世紀の年金・医療・失業・介護』菅沼隆完訳、光生館、
Barr, N. (2012). Economics of the welfare state, 5th edition. Oxford University Press.
Esping-Andersen, G. (1990). The three worlds of welfare capitalism. John Wiley & Sons. エスピン・アンデルセン,イエスタ (2001)『福祉資本主義の三つの世界』、 岡沢憲芙他訳 、ミネルヴァ書房.
Esping-Andersen, G. (1997). “Hybrid or unique?: The Japanese welfare state between Europe and America”. Journal of European Social Policy, 7(3), 179-189.
Esping-Andersen, G. (1999). Social foundations of postindustrial economies. Oxford University Press. エスピン・アンデルセン,イエスタ. (2000) 『ポスト工業経済の社会的基礎—市場・福祉国家・家族の政治経済学』、渡辺雅男, 渡辺景子訳、桜井書店.
Fu, R., Noguchi, H., Kawamura, A., Takahashi, H., & Tamiya, N. (2017). “Spillover effect of Japanese long-term care insurance as an employment promotion policy for family caregivers”. Journal of Health Economics, 56, 103-112.
Kondo, A., & Shigeoka, H. (2013). “Effects of universal health insurance on health care utilization, and supply-side responses: Evidence from Japan”. Journal of Public Economics, 99, 1-23.
Lindert, P. H. (1994). “The rise of social spending”, 1880-1930. Explorations in Economic History, 31(1), 1-37.
Lindert, P. H. (2004). Growing public: Volume 1, the story: Social spending and economic growth since the eighteenth century. Cambridge University Press.
Yamaguchi, S., Asai, Y., & Kambayashi, R. (2017). “How does early childcare enrollment affect children, parents, and their interactions?”. Discussion Paper Series A, No. 656, Institute of Economic Research, Hitotsubashi University
後藤基行(2019)『日本の精神科入院の歴史構造 社会防衛・治療・社会福祉』
社会学修士時代の同期・友人であり、共同研究者である後藤基行氏による単著『本の精神科入院の歴史構造 社会防衛・治療・社会福祉』がついに発刊となった。
各章の構成は以下のとおりであり、5章、6章には私との共同研究の成果も盛り込まれている。
序章
第1章 私宅監置と公的監置――戦前の社会防衛型
第2章 短期入院の私費患者――戦前の治療型
第3章 貧困患者の公費収容――戦前の社会福祉型
第4章 戦前における公費での病床供給システム
第5章 戦後における精神病床入院の3類型の展開
第6章 生活保護法による医療扶助入院――戦後の社会福祉型
終章
後藤氏の指導教官である猪飼周平氏も述べているように、本書は「近代日本における精神医療史の通説的理解を大幅に改訂する内容」であり、これまでの精神医療政策史研究のパラダイムの更新を図るものである。
猪飼 周平 - 後藤基行さんは、私の研究室から出た最初の博士号取得者。私を指導教員とするという交通事故のような事態を見... | Facebook
本書のモチーフは、副題にあるように、精神科入院の戦前から現代にまで至る展開を、「社会防衛、治療、社会福祉」という3類型に基づいて実証的に検証するというものである。この研究が、なぜ上記の猪飼氏の指摘にあるように「近代日本における精神医療史の通説的理解を大幅に改訂する内容」であるのか。これを理解するためには、
従来の先行研究では、私宅監置(座敷牢)や措置入院に象徴されるような日本の精神医療が根底に抱える公安主義と、精神病床が民間病院によって多く所有されていることに伴う営利主義が、現在のような大規模入院を招いたという考え方が長らく主流となってきた(本書p.9 強調は安藤による)
ことを踏まえる必要がある。
従来の先行研究のみならず、メディアの報道やドキュメンタリーなどにおいても、精神病床の長期入院はこのようなパラダイム・歴史観の下で報道されることが多い。例えば、少し前に話題になったNHKドキュメンタリーのETV特集「長すぎた入院 精神医療・知られざる実態」も、このような「公安主義と営利主義」(とりわけ前者に基づく「隔離収容的な長期入院」という理解)の歴史観に色濃く影響されている。
本書は、このような精神科入院の通説的理解をまるごと「くつがえす」ものではない。しかし、例えば財源別に戦前からの精神病床入院の規模を辿ると分かるように、精神病床入院におけるこのような歴史観、すなわち「戦前の私宅監置から戦後の措置入院・強制入院へと至る、<社会防衛>のための隔離収容政策としての精神科入院」という歴史観は、精神科入院の歴史の重要な一側面ではあっても、全てではない。
本書は、<社会防衛>を中心としたこれまでの「単線的」な精神科入院の歴史観を、<社会防衛>、<治療>、<社会福祉>という3つの観点から「複線化」することを提唱する。そして、この3類型の観点からみた精神科入院の歴史を、統計や一次資料を駆使して実証的に検証する。1~4章までは戦前を、5章と6章は戦後を扱っている。
戦後の精神医療政策に関する部分について、とりわけ後藤氏が着目するのは、戦後の精神科入院における<社会福祉>的側面である。これは、戦後の精神科入院において生活保護法の医療扶助入院が果たした役割に着目したものであり、本書では第5章、第6章、そして終章で議論されている。この戦後の精神科入院における医療扶助入院の重要性についての実証的検証については、私自身も共同研究者としてコミットした部分のため、その妥当性の評価は読者に委ねる。
最後に、上記のような「複線的」な精神科入院の歴史理解、とりわけ医療扶助入院の役割に着目する著者から見た、現代の精神医療政策についての記述を抜粋する。今後の精神医療政策研究や精神医療政策に対する重要な含意のある記述である。
また、しばしば世論の攻撃対象となりやすい生活保護予算であるが、精神病床入院へ投入されてきた莫大な公費が政治的、かつ社会的に問題化されたことはほぼなかったことについても着目するべきである。なぜなら、こと精神障害者のケアに関しては、公費をもって家族のケア責任を病院に積極的に代替させる道を受容したと解釈できるからである。
以上のことは、精神障害者本人と同様、あるいはそれ以上に、「家族の救済」のためにも多額の公費支出が正当化されてきたようにみえる。戦後日本社会に現出した大規模な精神科入院と長期在院とは、表面的には精神医療や病院、疾病の問題でありながら、最も本質においては、精神障害者を世帯から病院に移すことで家族を長期にわたるケア義務やスティグマから解放し、それにより残余の家族の維持を図る意味も込められていたと考察できるのである。
そのため、実は、日本の大規模精神病床数と長期入院の問題は、国際的標準からの乖離を批判すればよいというほど単純なものではない。家族に世帯内の精神障害者のケアを強く課す社会において、患者の長期入院が家族にとっての救済となる側面を無視できないからである。
もし、社会福祉型の機能をそぎ落としていき在院期間の短い治療型の病床への転換をこれまで以上に推進するのであれば、社会福祉型の病床がもっていた機能が、地域で十分に代替されなければならない。そして、この際に、ケア義務のベクトルを、病院から家族に振り向けなおし、そのサポートをするという方向は、歴史を振り返った時にリスキーなものであろう。
以上のように、戦後日本において展開してきた精神医療をめぐる精神病床供給・精神科入院の構造は、まさにこうした日本社会における倫理的規範や制度的義務をめぐる家族の内部の力学を無視しては説明できないように思われる。しかしながら、終章に示したこうした論点は、本書によっては実証性のレベルでまだ明言できるようなものではなく、あくまでそうした解釈の蓋然性が高くそれを基に議論を展開できるという段階である。これらのことについては、筆者の今度の課題としたい。(終章 p.181-182 強調は安藤による)
なお、本書の下となった後藤氏の博士論文と初出論文一覧は以下のとおりであるが、全体的に大幅な改定がなされ、部分的参照のみの論文もある。興味のある方は、ぜひ本と論文を合わせて御覧頂きたい。
●後藤基行(2015)『日本における精神病床入院の研究 3類型の制度形成と財政的変遷』(博士論文、全文あり)
HERMES-IR : Research & Education Resources: 日本における精神病床入院の研究 : 3類型の制度形成と財政的変遷
●後藤基行(2012)「戦前期日本における精神病者の公的監置 : 精神病者監護法下の患者処遇」『精神医学史研究』
CiNii 論文 - 戦前期日本における精神病者の公的監置 : 精神病者監護法下の患者処遇
●後藤基行(2012)「戦前期日本における私立精神病院の発展と公費監置 : 「精神病者監護法」「精神病院法」下の病床供給システム」『社会経済史学』(全文あり)
戦前期日本における私立精神病院の発展と公費監置 : 「精神病者監護法」「精神病院法」下の病床供給システム
●後藤基行(2011) 「日本におけるハンセン病「絶対隔離」 政策成立の社会経済的背景:——戦前期統計からの考察——」『年報社会学論集』(全文あり)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kantoh/2011/24/2011_97/_article
●安藤道人・後藤基行(2014)「精神病床入院体系における3類型の成立と展開――制度形成と財政的変遷の歴史分析」『医療経済研究』(全文あり)
https://www.ihep.jp/publications/study/search.php?dl=108 (雑誌全体版)
https://sites.google.com/site/backupmichihitoando/Ando_Goto_2014_Seishin_draft.pdf (論文単体)
●後藤基行・安藤道人(2015)「精神衛生法下における同意入院・医療扶助入院の研究:神奈川県立公文書館所蔵一次行政文書の分析」『季刊家計経済研究』(全文あり)
http://kakeiken.org/journal/jjrhe/108/108_07.pdf
【追記1】この本は2019年の社会政策学会奨励賞を受賞した。
【追記2】後藤氏との共同研究の続編として、以下の査読付き論文が日本精神神経学会の和文機関誌に掲載された。
●後藤基行・安藤道人(2020)「生活保護による精神科長期入院―1956年『在院精神障害者実態調査』原票の分析―」『精神神経学雑誌』122: 261-281
[Link] (雑誌のページ。全文公開は2022年?)
[ResearchGate] (ドラフトバージョンの全文)
スウェーデンの総選挙
先日、スウェーデンで総選挙があった。スウェーデンに住む知り合いのコメントが、スウェーデンの選挙の特徴を非常に簡潔に伝えていたので、許可を頂いて転載する。
日曜日はスウェーデンの総選挙でした。結果は社民党保守派連合と中央右派野党連合がどちらも過半数に達せずほぼ均衡。移民排斥を主張する極右政党、Sweden Democratsが17.6%(4年前から+4.7%ポイント)と得票数を伸ばしました。
選挙の結果はControvertialですが、私は今回の選挙を通じてスウェーデン人の民主主義に対する真剣さと敬意を多くの場面で感じました。
1.投票日の数か月前から、テレビも新聞も選挙一色。テレビでは毎日政党党首の討論会を放映していて、しかもスウェーデンで問題になっている課題ごとに各政党が政策を議論するため、有権者は各政党の政策をよく理解できた
2. 選挙前は人が集まれば各政党の政策について話をしていた。スウェーデン人は、最終的に自分がどこに投票するかは家族内でも明かさないけれど、政治に関する議論には非常に積極的。敵対的態度にならずに政策議論をすることに長けている
3.投票率85%
4.投票会場にはネクタイ・スーツ姿の正装で現れる人々もいた。「参政権」に対する大きな敬意を感じた
5.私の子供の小学校では、授業で各政党の政策が議論された。学校によっては各政党の青年部が政策を説明に来るところもあるらしい
6.選挙前の期間、子供の小学校では選挙と民主主義について先生と子供たちが話し合った(私の子供時代にこんな記憶はない)。我が子は掛け算の九九はできないけれど、民主主義についてはある程度理解している
7.そして、子供の小学校では実際の投票日前に模擬選挙が。子供達の投票結果は、国の投票結果とは大きく違っていて興味深かった
当然ですが、民主主義は世界中の国で当たり前のイデオロギーではなく、国民が守って行くべきものだということを細胞レベルでわかっている国民だと思いました。日本人の民主主義に対する意識について多くを考えさせられます。(引用終了)
スウェーデンというと、まず高水準の税負担や社会保障、そして次にその経済運営などに注目が集まることが多い。しかし、民主主義や選挙制度の日本とスウェーデンの「違い」については意外に知られていない。
締切過ぎた仕事からの現実逃避のために
ブログを移行してみた。
卒論からの現実逃避のためにブログを始めてから12年、
それなりにブログに時間を費やした時期を経て、徐々にツイッター中心になり、最後のエントリを書いてから4年、
とりあえず試し書きをしてみる。ブログの感覚が懐かしいが、あまり更新しないようにしたい。
1980年代から続く「スウェーデンの福祉国家は経済成長に悪影響を与えたか?」論争の文献リスト
息抜きに、1980年代くらいから行われたスウェーデンの経済成長と福祉国家の関係についての論争(基本的には著名な福祉国家研究者の政治社会学者ウォルター・コルピ対スウェーデンの経済学アカデミア)を概観しようと文献をダウンロードしながらチラ見してたら、以前にも同じ論文群をダウンロードしてevernoteに保存していたことが判明。この際、ブログに文献メモを作成することにした。随時追加予定。スウェ語の本や論文も一部載せているが、ほとんどは未掲載(読めないし)。でも英語文献だけでもけっこうな量がある。誰かスウェーデン経済学説研究者の人とか、このネタで研究してくれないかなぁ。一部では有名な論争なので、すでに英語やスウェーデン語では包括的な学説史的研究があるのかもしれないが。
まずは論争の中心人物である経済学者アーサー・リンドベックの初期の論文や政府レポートなど。PerssonやSandmoなどの他の大御所経済学者との共著レポート・本もある。
- Lindbeck(1983) Budget Expansion and Cost Inflation, American Economic Review
http://www.jstor.org/stable/1816856
- Lindbeck, A. (1985) Välfärd, skatter och tillväxt (Welfare, taxes and economic growth) Ekonomisk Debatt
http://www2.ne.su.se/ed/pdf/13-3-al.pdf
- Lindbeck(1988) Consequences of the Advanced Welfare State, The World Economy
- Lindbeck, Molander, Persson, Peterson, Sandmo, Swedenborg, Thygesen (1993a). Nya villkorpr ekonomi och politik (SOU 1993:16) (New conditions for economic policy)
- Lindbeck, Molander, Persson, Peterson, Sandmo, Swedenborg, Thygesen (1993b) Options for economic and political reform in Sweden, Economic Policy
http://www.jstor.org/stable/1344529
- Lindbeck, Molander, Persson, Peterson, Sandmo, Swedenborg, Thygesen (1995) Turning Sweden Around
次いで福祉国家研究で世界的に有名な社会学者コルピの経済学者批判
- Korpi(1985)Economic Growth and the Welfare State Leaky Bucket or Irrigation System, European Sociological Review
http://www.jstor.org/stable/522409
- Korpi(1996) Eurosclerosis and the sclerosis of objectivity on the role of values among economic policy experts, Economic Journal
リンドベックのカウンター
- Lindbeck(1997) The Swedish Experiment, Journal of Economic Literature
Korpi(1996), Economic Journalを受けてのEconoomic Journal上でのスウェーデン経済学者Henrekson、Agellの反論および「外部からの所感」
- Henrekson(1996)Sweden's Relative Economic Performance: Lagging Behind or Staying on Top?, Economic Journal
http://www.jstor.org/stable/2235215
- Agell(1996)"Why Sweden's Welfare State Needed Reform, Economic Journal
http://www.jstor.org/stable/2235216
- Dowrick(1996)Swedish Economic Performance and Swedish Economic Debate: A View from Outside, Economic Journal
スウェーデンが停滞を抜け出した後も、論争はまだまだ続く。社会科学者の客観性論争にまで発展し、哲学者も参戦。
- Henrekson(1999) Sveriges ekonomiska tillväxt och samhällsforskarnas objektivitet (Sweden's economic growth and social scientists' objectivity), sociologisk forskning
http://www.ifn.se/wfiles/reprints/xreprint515.pdf
- Korpi(2000) Welfare States, Economie Growth, and Scholarly Objectivity, Challenge
http://www.jstor.org/stable/40722000
- Henrekson(2001)Swedish Economic Growth A Farorable View of Reform, Challenge
http://www.jstor.org/stable/40722084
- Bergström, Lars. 1998. "Walter Korpi om objektivitet." In Objektivitetsproblemet i ekonomisk vetenskap, ed. Carl-Henric Grenholm and Gert Helgesson. Uppsala: Department of Theology, Uppsala University
(コルピのいうところの「客観性」についての哲学者の考察まで登場らしい。Henrekson(2001)で紹介されてた)
その後はフォローしてないが、上のEconomic Journalに登場した経済学者のHenreksonやAgellは、その後も関連する(よりアカデミックで、スウェーデンに特化しない形での)論文をいくつか発表し、互いに論争もしている。
- Fölster&Henrekson(2001)Growth effects of government expenditure and taxation, European Economic Review
- Agell, Ohlsson, Thoursie(2005) Growth effects of government expenditure and taxation in rich countries. European Economic Review
- Fölster & Henrekson(2006) Growth effects of government expenditure and taxation in rich countries: A reply, European Economic Review
- Bergh & Henrekson(2011) GOVERNMENT SIZE AND GROWTH: A SURVEY AND INTERPRETATION OF THE EVIDENCE, Journnla of Economic surveys
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1467-6419.2011.00697.x/full
まあ、2000年代にもいろいろスウェーデン福祉国家と経済成長についての報告書やレポートなどが出されたので、気が向いたら追加する。