研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

史料がない、見られない、という問題

「マサヒト、僕の国の歴史には大きな空白がある。1942年から1945年までの日本占領時代だ。日本が敗戦の時に記録を焼却して何も残っていないからね。もしかして、君の国には日本人が持ち出した記録が今もあるんじゃないか。それに、日本の政府や軍の記録も僕の国にとっては重要なんだ。ぜひ提供してもらいたいね。」

朝鮮総督府文書を学術的に活用するためには日本の中央政府記録を合わせてみる必要がある。しかし戦前戦中の日本政府記録は多くが非公開であり、所在さえわからない場合がある。日本側の記録公開こそ『歴史資料の共有化』の前提ではないか。」

アジ研『ワールド・トレンド』2005年3月号(第114号)「アーカイブズから考えるアジアの中の日本」(pp.4-7) 安藤正人
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/W_trend/wt_0503.html

前者は、史料管理の専門家(アーキビスト)である著者が、イギリス留学中に、インドネシア国立文書館からの留学生から言われた言葉である。後者は、植民地期史料の研究と整備を日刊共同で進め、相互に開かれたアーカイブズ・システムを築きあげていこうという趣旨で開催された国際シンポジウムにおいて、韓国側の報告者から出された言葉である。

思想好き、理論好き、論争好きの人たちは、例えば内田樹氏のブログで言及していたような問題
(『社会理論の汎用性と限界』http://blog.tatsuru.com/archives/000712.php
や、最近のもじもじ氏、おおやにき氏、bewaad氏の論争などに興味が向いてしまうんだろうけど、そもそも原点として(とか書くと、それもナントカ・イデオロギーだ、とか言われそうだけど)、大変地味だけど、こういう問題があることを忘れてはいけないと思う。というメモ。