研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

富永健一(2001)『社会変動の中の福祉国家 家族の失敗と国家の新しい機能』(isbn:4121016009)その一

1、理論的問題 第一章・第二章と第三章・第四章の断絶をどう考えるか。

この著作は、少し奇妙な構成になっている。第一章「理論的前提――近代産業社会の構造と機能」で、「現代の福祉国家は『解体しつつある家族の中に国家が入っていく制度』として理解される」と著者の福祉国家に対する仮説が提示され、第二章「家族と国家の関係――福祉国家はなぜ維持される必要があるか」では、少子高齢化社会を例に、仮説の妥当性を検討している。そして第三章「福祉国家の形成――起点から最盛期まで」と第四章「福祉国家の『危機』への対応――福祉国家の諸類型」では、一端その仮説をひっこめて、欧米の主要な福祉国家理論を時系列的に紹介している。第五章「日本における福祉国家形成」では三章、四章を踏まえながら、そして自身の仮説を適宜提示しながら、日本福祉国家の特徴を考察している。そして「要約と結論」では、ふたたび「現代の福祉国家は『解体しつつある家族の中に国家が入っていく制度』という仮説を繰り返し述べている。
何が奇妙かというと、「機能主義社会学としての考え方の筋道を一本通した」(viii)と述べておきながら、第三章、第四章における諸福祉国家理論の紹介ではほとんど自身の機能主義的仮説が登場せず、欧米の福祉国家理論の紹介に終始していることである。さらに第五章では、日本福祉国家を、第三章、第四章で紹介した福祉国家理論と自身の仮説を交えながら考察しているが、理論間の緊張関係や整合性の問題には踏み込んでおらず、理論的一貫性のある議論とはなっていない。これはどういうことなのか。

「要約と結論」部にこの疑問を解くカギがある。彼は次のように語る。

福祉国家はもともと、第二次大戦後の先進諸国が、この反省的近代化の課題に答えようとして誕生したものである、といえる。もっとも、先進諸国が取り組んだ福祉国家の課題は、戦後初期においては、19世紀的な貧困問題と階級問題の解決に指向するものであり、それはまだ基本的に「伝統社会の近代化」にかかわる問題であった。ケインズベヴァリッジ福祉国家の政策課題も、T・H・マーシャルの社会権の概念も、この問題を念頭においたものであったし、ウィレンスキーが産業化と社会福祉の結合を唱えて福祉国家の収斂を説いたさいの視点も、基本的にそれであった。ところが1970年代を境に、それまでの福祉国家が暗黙のうちに前提していた高度経済成長の時代が終わり、福祉国家は財政危機の段階に入った。同時に、高度経済成長の結果として近代化は、「産業社会の近代化」の段階に入り、「反省的近代化」の新しい課題に直面するようになった。地球環境問題の登場と、基礎社会としての核家族の機能喪失、フェミニズム核家族そのものの解体化がそれである。かくして福祉国家の新しい課題は、国家が家族の中に入っていくという問題として定式化されねばならなくなった、というのが私の視点である。高齢者介護の問題は、これを代表しているということができる。(pp.236-237)

最初の一文と、そのあとに続く文章がすでに矛盾している。結局、福祉国家とは、貧困問題と階級問題の解決を指向する「伝統社会の近代化」現象なのか。それとも、家族の機能縮小に対応するために呼び出された「産業社会の近代化」現象なのか。引用文の中では、彼はこの理論的不一致を、時代区分で分けて考えることによって乗り越えようとしている。すなわち、1970年代以前は「伝統社会の近代化」現象であり、1970年代以降は「産業社会の近代化」現象である、という時代区分である。

第一章・第二章と第三章・第四章の理論的断絶は、この時代区分による「二つの近代」の時代的断絶と対応している。第一章・第二章の富永の仮説は、1970年代以降の「産業社会の近代化」現象としての福祉国家に照準を当てている。それに対して第三章と第四章で彼が紹介するビスマルク、エアハルト、ミュラー=アルマックケインズ、ベヴァレッジ、T・Hマーシャル、ウィレンスキー、ミシュラ、エスピン・アンデルセン、ミュルダールといった福祉国家理論家もしくは実務家は、解釈の仕方に違いはあるものの、基本的に「貧困問題と階級問題の解決」という(富永がいうところの)「伝統社会の近代化」現象として福祉国家を捉えている。

しかしこの富永の福祉国家解釈には問題がある。例えば、エスピン・アンデルセン福祉国家論が登場したのは1989、90年あたりである。しかし、「階級的連合アプローチ」、「階層化指標」、「脱商品化指標」といった彼の理論的諸概念を参照すればわかるように(「脱家族化指標」については検討がさらなる検討が必要であり、ここではとばす)、彼の福祉国家論は、「貧困問題と階級問題の解決」という(富永がいうところの)1970年代以前の「伝統社会の近代化」現象に焦点を定めている。このことをどう考えればよいのか。

つまり、問われるべきは、「伝統社会の近代化」と「産業社会の近代化」という時代区分に分けて福祉国家を考えることの妥当性である。エスピン・アンデルセンが戦後まもない頃のT・H・マーシャルの「社会権」概念を発展させて「脱商品化指標」を作り出したことからもわかるように、富永が「昔の」福祉国家の問題と考えているものを、エスピン・アンデルセンは「現代の」福祉国家の問題として分析しているのである。しかし富永は、この事実に正面から取り組もうとしていない。ここにこの著書の限界がある。

なぜこのような限界があるのか。それはそもそもの出発点、「現代の福祉国家は『解体しつつある家族の中に国家が入っていく制度』として理解される」という彼の仮説にあると私は考える。この福祉国家の定義は一般性が低く、伝統的な「『貧困問題と階級問題』と福祉国家」というテーマに切り込んでいくことができない。しかし彼は、時代区分による「二つの近代」を設置することによって、事実上「二つの福祉国家」を作り上げ、伝統的な福祉国家理論と自分の福祉国家理論をこの「二つの福祉国家」に住み分けさせることによって、この理論的困難を回避してしまった。

本来ならば、富永は機能主義社会学の立場から、「『貧困問題と階級問題』と福祉国家」という伝統的かつ現代的(少なくともエスピン・アンデルセンを読むかぎりでは)福祉国家理論を捉えなおし、この伝統的な福祉国家理論が現代の福祉国家を考える上でどこまで有効か、有効でない部分があるとしたらそれはなぜか、を検討した上で、「家族の機能縮小と国家の新しい機能」という彼の仮説を、より一般性の高い福祉国家理論の中に組み込んでいくべきであった。

追記1:
日本における「『貧困問題と階級問題』と福祉国家」ということについてもっと考えなければならない。それと、最近日本でもエスピン・アンデルセン以降の福祉国家論がはやっているみたいだが、それを先導している人たちの中に社会学者があまりいない、という事実をどう考えればいいだろうか。憶測でしかないが、私の師匠がいうように、日本では「階級から階層へ」という流れを社会学者が先導してきたから、いまさら階級論的な視点を持つエスピン・アンデルセンを正面から取り上げられないのだろうか。誰かそこらへん詳しい人教えて欲しい。ちなみに、この本のP25-26あたりで、トミケンは社会階層の概念を説明し、ついでにエスピン・アンデルセン福祉国家論の階級論的側面にも言及しているが、「階級は福祉国家にとって機能をもったというのは適切ではないだろう。福祉国家は、不平等の構造化である階級を否定の対象にした、というのが正しいのではないのだろうか。」とごにょごにょ書いているだけだ。もうこの辺で、トミケンの福祉国家論とエスピン・アンデルセン福祉国家論の理論的断絶がはっきりしている。しかし、上に書いたように、この理論的断絶は、時代的断絶ということでうやむやにされてしまっている。

追記2:
富永健一の「階級から階層へ」だけでなく、宮台真司の「近代過渡期から成熟近代へ」など、社会学者はポストモダンは否定しても、近代を二つに分けて考える人がけっこういる。生産から消費に社会学者の関心がシフトしてきたことも、なんとなく同じ匂いがする。このように近代を分けることによって、面白いことがいっぱい発見されてきたと思うのだが、どうも納得のいかないこともたくさんある。そのことについてはもっと考えられていいはずだ。