研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

メモ:需要サイドからニートを考える人たち

1.「バーナンキ提案を振り返るⅠ&ニート雑文&パク・ソルミ
http://reflation.bblog.jp/entry/164090/

わたしはこのようなニートの存在は、玄田氏のいうほど日本の若者の気質が変化したり、労働市場の構造変化のせいだとは思ってはいない。明らかなのは、ニートの総数とその変化率が、97年以降の不況の深化とともに急上昇していることからわかるように、きわめて景気循環的な問題から生じた「偽装的失業」の一種ではないか、と理解している。そうであるならば景気回復とともにこのニートは着実に減少していくかもしれない。

2.「ご期待にお応えして大人げなくいきます。」
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20050406

しかし言うまでもなく、失業問題は需要サイド、マクロ経済的視角からも考察されねばならない。果たして今日の若年失業は主として「構造的失業」なのであろうか、それともむしろケインズ的な「需要不足失業」によるものなのだろうか。石油ショック以降のスタグフレーション期の、ことに西欧諸国における若年失業の大量発生については、前者が当てはまる度合が高いかもしれないが、バブル崩壊以降の長期デフレ下の日本における若年失業は、どっちかというと後者の考え方で説明し、対応した方がよいのではないか。つまりマクロ的な景気が改善すれば、若年失業者のかなりの部分は何とかもう少し安定した職にありつけ、それでも残る部分については供給サイド的な対策、具体的に職業訓練だのなんだのをすればよい、ということではなかろうか。 

よくしらないけど、おそらく正しいんじゃないかと思う。皮肉ではなく、マクロ経済運営の発展を切に願う。だけど、昨日の文章じゃないけど、たとえニートの原因が一時的な需要不足だとしても、景気循環が存在する以上、そして労働需要の波が存在する以上、今回のニートみたいな現象が(それが問題かどうかは置いといて、)いつかまた似たような形でてくるのでは、と思う。もちろんこれをもって上記の説を批判するわけではないが、それが気になるのだ。これはアカデミズム内の分業の問題であって、マクロ経済学者ではない誰かが考えるべき問題だ。誰かー。