研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

山崎元VSリフレ派

このコメント欄が面白い。bewaadさんのウェブ経由で知る。
『リフレ派を批判した山崎元氏のその後』
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/ef618d79831b092e37836379e7b8eeb4

私は金融理論やマクロ経済学には疎いので、リフレ政策が効くのか効かないのかを言える立場ではない。しかし「リフレ派」と呼ばれる人たちの不況や再分配に対する考え方には、比較的共感してきたほうだと思う。以前に「リフレ派」の左翼批判に対して違和感を表明したら色々言われたけど(それに関しては稲葉先生の膨大なサルベージ参照>http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060208 前回のエントリ(>http://d.hatena.ne.jp/dojin/20060403)で取り上げた銅鑼衣紋さんのコメントもその余波の一つ)、上記のコメント欄のやりとりを見る限り、やはり「リフレ派」とはできるかぎり「共闘」したほうがよさそうだ。まぁ私は「共闘」できる学問的水準ではないので、「ご教授」といったほうが適当だけれども。

山崎氏の素朴なリバタリアン的「公正」概念に対しては論理的次元+少々の規範理論での対応にとどめ、ひたすらマクロ経済論争の次元で議論している(しかも圧倒している)韓リフ先生や飯田先生はさすが経済学者。韓リフ先生の「その回復できない間に生じている社会的損失(人命含む)」という書き込みあたりには、人命に対する想像力の欠如に対して暗に批判しているようにも読み取れるが、そういうことをはっきり言わないのも(皮肉ではなく)さすが経済学者。

追記:もちろん、そういう「想像力」とかの問題は取り上げるべきではないとか、経済学者は取り上げるべきではないとか、そういうことがいいたいのではない。私はこの「想像力」の問題は非常に重要だと思っているし、最後はそこは避けて通れないと考えている。

しかし、まずは理論的、実証的に議論できる部分をきっちり議論する、というのは特に経済学者にとっては重要なことだ。だからきちんと考え詰められてもいない「倫理」や「フェアネス」の話はとりあえず避けてマクロ経済政策について議論しよう、という韓リフ先生の提案(批判)はなんとも的確な論駁だったと思う。