稲葉氏のベーシックインカム論(追記:吉原氏のコメント抜粋)
『トークセッションに向けてのメモ(続)』
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060906/p3
ここで非常に強力なベーシック・インカム制、その給付水準が高く、今日の生活保護レベルと遜色ないようなものを想定してみましょう。これはどういうことかといえば、生存権の保障としてのベーシック・インカムが、それを備えた社会における「土台」になっている、ということです。たしかにそこでは自由な市場経済制度が想定され、税率はかなり高く、重いにせよ、経済活動の自由は保障され、政府にはそれをいちいち細かく統制する権限も負担もありません。ベーシック・インカムの給付水準設定の作業にしても、今日の生活保護におけるそれ程度のものですむでしょう。その意味では到底これは「社会主義」とよびうるようなものではない――一見そのようにも思われます。
しかしながら問題は、ここでのベーシック・インカムはまさにこの社会における経済全体にとっての「土台」であり、そのようなものとして恐るべき死重である、ということです。「土台」であるということは、この社会の政府、この国家にとって、ベーシック・インカム給付の達成こそが絶対的な制約であり、場合によっては最優先目標として設定されてしまう、ということです。「内在的制約」説風に他の要請、他の政府機能との兼ね合いにおいて決定されるのではなく、まずそれが優先的に設定され、他のあらゆる政府機能(ぶっちゃけて言えば予算配分)はそれにあわせて決定される。もちろんそれだけではすまずに、そうした政府の必要経費をまかなうための租税の徴収の方も、その目的を達成できるようなものにされざるをえない――と。
こうした政府、財政機構はもちろん、その見た目や形式においては社会主義計画経済ではありません。しかしながら政府が単一の絶対的優先目的を設定せざるを得ず、行財政のみならず、その負担を財政的に負うべき民間部門までにも、意図せずして強力な統制を行わざるをえない、動員体制になってしまう危険が大きいのではないでしょうか?
うーむ。なるほど。いつか、そのうち、ちゃんと、おベンキョしなきゃ、ベーシックインカム。
追記:吉原氏のコメント抜粋
私は「切り札としてのBI」という意味をどんな経済環境の下であれ,すでにあらかじめ固定された基本所得額を必ず賦与するという意味で捉えました。そうではなく,全体としての生産が多くなくパイが小さいときには基礎所得額も予算制約によって小さくなり得るものとしてまずは考えるべきではないか,ということです。その上で,全体としてのパイを十分に大きい水準に維持するためには,つまり生産のインセンティブですね,いかなる制度設計が必要か,という話になるかと。
関連項目:
『ベーシックインカム・メモ』(コメント欄も)
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20060412#p1