研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

NPOと公共サービスの関係についてメモ(追記1,2,3あり)

『なぜ全国の小児科医は目の前のこどもと共に働く家庭を救わないのか?〜病児保育の新たなモデルによる「社会起業」と「ソーシャルイノベーション」〜』
http://komazaki.seesaa.net/article/83238569.html#more

あいかわらず文章が上手い。内容も説得力がある。

私はゆえあって駒崎氏と何度かお会いしたことがあり、彼の人となりと(いい意味での)計算高さに魅了されており、目指すべき社会のビジョンにも共通点は多い。しかしNPOなどの非営利組織が果たす役割についての見解には若干の温度差がある。これは何より彼はNPOの実務家で戦略家、私はただの研究者の卵(というより今はただのリーマンだが)ということで、ものを見ている視点もやや異なることもあるが、それだけではないだろう。

こういった温度差の原因については、ここ↓

社会的企業の近辺メモ」
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070829#p1

でも若干言及しているが、結局、私は、寄付や事業収入を中心に運営されるNPO社会的企業による「公」の実現は、とくに対人福祉サービスの分野においては、利用料や保険による負担に見合うサービスの受益か、そうでなければ従来どおりの慈善と変わらない、と原理的には考えているためだろう。

最近、この温度差を示すのにちょうどよい本を二つ見つけた。一つはほかならぬ駒崎氏の本であり、もう一つは非営利組織研究の第一人者レスター・サラモン氏の新訳本である。両方ともレーガン政権以降のアメリカの非営利組織について言及している。

まずは駒崎本からの引用

 アメリカでも1970年代まではNPOのあり方は今の日本と変わらず、どちらかといえばボランティア団体に近いような形態の組織が大部分を占めていた。その様相が一変するのは1981年にロナルド・レーガンが大統領になってからだと言う。
 自由主義者レーガンは「小さな政府」路線を選択し、それまでNPOに出されていた政府からの補助金を次々にカットしていった。国からの補助金で成り立っていたNPOは運営が行き詰まり、倒産する団体も出てきた。このことに危機感を募らせたNPOのなかに、経済的自立を果たすためにビジネスセクターから人材やノウハウを引っ張ってくる動きが生じた。限られた経営資源をうまく使って効果を最大化させる、というまさに純然たる経営を余儀なくされる状況になってきたのだ。

 ビジネス界からの人材やノウハウの流入は、それまでの「運動によって社会問題を解決する」という姿勢から、「事業によって社会問題を解決する」方向へと多くのNPOたちをシフトさせていった。そうして「NPOからソーシャルエンタープライズ(社会企業)もしくはソーシャルベンチャー(社会問題解決型ベンチャー企業)へ」という体質転換がもたらされたのだという。

 パソコンの青白い光が、神から放たれた祝福の光のように僕に降り注いだ。これだ。運動ではなく、事業によって社会問題を解決する社会起業家。これならば、二年のあいだ会社経営に身を費やしてきた僕にもできる、いや僕だからこそできる「日本社会の役に立つ」方法ではないだろうか。

社会起業家という生き方「社会を変える」を仕事にする』pp.59-60

「社会を変える」を仕事にする――社会起業家という生き方

「社会を変える」を仕事にする――社会起業家という生き方

一方、レスターサラモンは同じくレーガン政権が非営利セクターに与えた影響を詳しく学術的に分析している本の序章で次のように述べている。

 レーガン政権は、民間の非営利組織が果たす役割を、それ以前の政権よりもはるかに好意的かつ真剣にとらえようとする行政上の姿勢をもち合わせていたのだから、政府と非営利セクターとの相互関係という一般化しつつある形態を合理化し、同時にそれを社会の改善に結びつける実のあるパートナーシップの関係に作り替える好機に乗じることができるはずだった。
 にもかかわらず、レーガン政権は、政府と非営利セクターは対立しあうという昔ながらのパラダイムに逆行し、非営利セクターと政府との間に培われていた有意義なリレーションシップに深刻な打撃を与えてしまった。こうして「民間セクター主導」を唱えるレーガン政権の美辞麗句は、ますます虚ろな響きを帯びるようになったのである。
(中略)
 レーガン政権は、非営利セクターをよりいっそう「慈善的寄付活動の活発な」ものにしようとして、結局、政府と非営利セクターとの既存の協調関係を成り立たせている重要な構成要素をもぎ取ってしまう。あるいは、著しく弱めてしまい、かえって、非営利セクターをより営利本位にしてしまいかねない勢いを提供してしまったのである。

NPOと公共サービス 政府と民間のパートナーシップ』pp.10-11

NPOと公共サービス―政府と民間のパートナーシップ

NPOと公共サービス―政府と民間のパートナーシップ

さらに第?部「小さな政府の衝撃」第10章「レーガン革命と非営利組織」では次のように述べている。

 しかし、表10-4で収入の絶対額について検討してみると、連邦予算の削減によってもたらされた資金不足に対する非営利セクターの補填は民間の慈善的寄付の増加によっていないことが明らかになる。むしろこのギャップを補填したのは主に会費及びサービス料金収入の増加であった。平均的な組織がこの資金不足を補填し、全体としての支出を僅かではあるが0.5%だけ増加させた。しかしその成果を支えた収入のうちのほぼ60%は会費やサービス料金が源泉であった。また、基金や投資収入を源泉とする収入は6%であった。それ故、1981年にこれらの組織において政府以外からの収入の55%を構成する事業収入が、1981年から1982年までの平均的組織の収入増加分の65%を構成したことになる。同じく全収入の45%を構成する民間寄付は収入増加分の35%を占めたにすぎなかった。言い換えれば、組織収入に占めるフィランソロフィーの割合は実際には減少したのである。

pp.183-184

続く14章「福祉の市場化」では次のように述べる。

1977年にすべての非営利の総収益のうち52%を計上した保健医療団体は、1977年から1989年の間に非営利セクターの成長の60%を占めた。対照的に、この期間の出発点において全収益の12%を計上していた社会サービス及び法律サービス団体は、成長のうち9%を占めたにすぎない。したがって、1980年代の10年間は、非営利セクターの重心が社会サービスから離れ保健医療へと向かうさらなう変化を目の当たりにしたのである。
 さらに、社会サービスや市民活動組織にさえも役立てることのできる収入源の新しい同行が生まれ、貧しい人々を対象とするサービスから支払い能力のある顧客を対象とするサービスへという変化が、社会サービス分野の範囲内でも起こったと考えられる。利用しうるデータからどの程度までこのような変化の範囲を明確にすることができるかわからないが、非常に多くのサービス料金や手数料に収入によってこの分野の成長がもたらされたという現実は、それこそが変化の傾向であったことを示しているいえよう。

pp.250

この政府と非営利セクターの間のパートナーシップは、1980年代に多くの領域で実質的に解体され、その他の領域では著しく変化した。ずっと昔の相互扶助とボランタリー活動の「黄金時代」に国を戻すことが明らかな目標であった。しかしいくつかの大胆な努力にもかかわらず、実際に起こったことは幾分異なるものであった。政府助成の削減によって締めつけられ、民間の慈善的財源では不足分を補うことができず、増大する需要に対応することができなくなった非営利組織は、唯一の利用可能な代替手段である市場へとますます向かってゆくことになった。商業的な収入は1980年代に非営利セクターの成長の半分以上を占め、非営利組織における収入の最大の単独財源となっただけでなく、全非営利の資金源の半分以上を占める財源となった。

pp.260

もちろん、サラモンはこれらレーガン政権以降の動向をなんでもかんでも否定的に捉えているわけではないけれど、最後のほうで次のように述べている。

サード・セクター組織に化せられた仕事は、強い独立性と自律性を確保する一方で、十分な法律的及び財政的援助を提供する政府との共存様式を見つけることである。他の援助形態と政府支援を調和させ、国家との協力を行う基本原則をはっきりさせることによって、これは可能になる。

pp.290

私が危惧するのは、アメリカに比べて格段に寄附市場が脆弱な日本において、レーガン政権の真似事(政府補助金の削減と寄附市場の拡大戦略)を採用すると、アメリカで起きたようなNPOの商業化やサービス対象者の階層の上方シフトなどが日本でも生じ、日本の対人・福祉サービスは深刻な影響を受ける(受けている)のではないか、ということだ。もっとも、日本的文脈では、このような現象は、「小さな政府化」が、NPO法人というよりも社会福祉法人などの運営により強い影響を与える段階で生じるものなのだろうが。

単純な「小さな政府化」による「補助金依存からの脱却」よりも、政府の財政的援助のあり方を抜本的に変えていく道を模索し、サラモンのいう「非営利組織の強い独立性と自立性の確保と、政府による十分な法律的及び財政的援助の提供の共存様式を見つけること」を模索することが、今の日本には必要なのではないか。

確かに今の日本の文脈では、(レーガン政権と同様)非営利組織の称揚は、政府の財政負担の軽減という政策目標と表裏一体で進んでいるため、このような方向性はあまり現実的ではないと思われがちだ。

しかし私はそうは思わない。租税負担率が先進国の中でもとりわけ低い日本は、まだまだ担税力があると考えているし、租税負担率が高いと経済成長が鈍化するという俗論も(少なくとも長期的には)成り立たないと考えている(ただしここらへんはまだまだようわからん)。要は国民の選択の問題である。日本では税金や保険料の使い道について、国民の間で非常に不信感が高く、増税への不信感があらゆる階層において非常に高い。これはメディアの報道などで誇張されている側面が大きいと考えられるが、そうはいっても仕方がない。ここをなんとかすることが、少なくとも私にとって「社会を変える」ために一番必要なことである。

一昔前に「社会を変える」といったら、それは資本主義社会を根本から覆すことを連想した人が多かっただろう。また、その闘争の時代が終焉しても、市民運動・障害者運動・左翼思想の世界では、そういった精神が残存し続けた、あるいはそういった精神を横目で見ながら活動や思索が続けられてきたといってもよいと思う。最近でも、世界社会フォーラムを含む反グローバリズム系の運動にはその影響が色濃く残っているし、ポストモダニズムでさえ、それ以前の左翼思想と向き合っているという意味で、どこか資本主義体制そのものを扱っている雰囲気を感じ取ることができる。

しかし、日本の私たちの世代でここ数年の間に大学に所属して「社会を変える」ことについて議論してきた人たちの多くは、そのような大きな話よりもNPOやNGOなどの地道な活動に注目することが多かったのではないだろうか。そこでは労働者の貧困、障害者差別、部落差別といった根深い歴史的問題が議論されることは少なく、資本主義とか、福祉国家とか、そういった大きな話が議論されることも少なく、(なんとなく明るいトーンで)NGOによる途上国の草の根からの開発とNPO社会起業家の躍進が語られた。

もちろん、実際に実務に飛び込んだ人々が待ち受ける現実は、そのような明るいものではないし、駒崎氏をはじめ多くの社会起業家があえて明るく華やかに振舞うのも、彼らなりの戦略といってよいだろう。暗くて深刻な社会問題を、暗くて深刻なままに取り上げても人材はついてこない。企業と非営利組織の垣根を低くするためには、若者をひきつけるようなイメージ戦略も必要だろう。

しかし、もう少し体制そのものに楔を打つ(とはいっても革命ではありえないのだが)ような志向もあってもよいと思う。どちらかというと雨宮処凛氏や生田武志氏や個人的にも知り合いである杉田俊介氏などのワーキングプアー系の活動家はそういう路線でいっているようにも思えるが、なかなか新しい社会全体のビジョンを描くところまではいっていない。ベーシックインカムもまだまだ構想段階のアイデアにすぎず、そこに至るまでに課税と再分配をどう再構築していくかについての議論は薄い。

このような課税と再分配のあり方は、労働市場のあり方と並んで、「社会を変える」にあたってこれからの日本でもっとも真摯に検討されなければならないトピックだろう。しかし多くの非営利組織に関する議論は、そういった基本的問題よりも、とにかく「行政による画一的なサービスはダメ」とか「補助金脱却による自律的運営の確立が必要」などといった、マクロ的帰結を軽視したミクロ的な議論に終始している印象がある。レスターサラモンが10年前にアメリカで成し遂げたような、政府と公共サービスの間の堅実なミクロ・マクロの実証的研究は、日本にはまだないのではないか(あったら教えてほしい)。

まぁえらそうにいうなら自分がやれよ、ということなのだがね。もうしばらく修行を積んだら、第一線の活動家・実業家の人たちともに、「当事者本位の公共サービスの実現を目指し、それを支える課税に対する信頼感を醸成する運動」でも起こそうか。

追記1:
今日(2月11日(月)の日経新聞の「人脈追跡」は、SFCを源流とする社会起業家たちの紹介で、駒崎氏も顔写真入りで乗っている。他にも、コトバノアトリア、カタリバ、マザーハウスなどの社会起業が取り上げられている。この人たちってみんなSFCだったのね!実はこれらの社会的起業の中で、このエントリの内容にかかわるような領域で活動しているのはフローレンスだけである。

ちなみに、駒崎氏の紹介で『米誌で「世界を変える社会起業家百人」の一人とされた』ってのは少し間違いではないか。確かにニューズウィークだが、あの特集は日本版だろう。

あとコトバノアトリエの山本さんは杉田さんなどとも活動を一緒にしているようなので、杉田さん、そのうちそこらへんの動向を聞かせてください。

http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20080112/p1

追記2:
lessorさんからトラバをもらった。lessorさんは身元を明らかにしていないが、彼のブログ及びそこでの思索は私のそれよりもはるかに勉強になる。彼が忙しくて研究できないならば、いつか共同研究ができたら、と(一方的に)思っている。ただ、どういう分野でどういう内容なのかはまったく不明。私よりもふさわしい共同研究者はたくさんいるだろうし、福祉研究者もくだらん研究するヒマあったら、彼のような現場にも研究にも近い人と一緒にやれば、生産性もあがるだろうに。

追記3:
「非営利組織の強い独立性と自立性の確保と、政府による十分な法律的及び財政的援助の提供の共存様式を見つけること」や、「当事者本位の公共サービスの実現を目指し、それを支える課税に対する信頼感の醸成」には、駒崎氏のみならず多くの経済学者が提唱する教育バウチャーや福祉バウチャーによる疑似市場が有効な可能性が高い。私も原則的には賛成だ。しかし一方でバウチャーにはバウチャー固有の問題点があることは押さえる必要がある。

例えば教育バウチャーの問題点については経済学者の小塩隆士氏の下記のメモを参照(ちょっと前の日経の経済教室にも同様の記事を書いていた。)

http://211.120.54.153/b_menu/shingi/chousa/shougai/010/shiryo/06041208/001.htm

福祉バウチャーについてはもっといろいろあるだろうが、勉強不足なのでまたいずれ。