研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

ちょっと更新:文藝春秋四月号

時間経つのはやいなぁ。気が付けば前回更新から一ヶ月くらいたってる。いろいろ書きたいことはあるけど、なんかめんどくさかった。

いまもめんどくさいんだけど、今机の上にある、普段はめったに読まない文藝春秋4月号の佐野愼一の『ルポ 下層社会 改革に棄てられた家族を見よ』は面白い。小泉改革と貧困を絡めて論じている部分はさらなる検討が必要だろうけど、日本の貧困層の現実についていろいろ取材している部分は興味深い。そのうち気が向いたら抜粋を紹介しよう。最近の「下流社会」論を批判しているところもいい。このルポの最後の一文はこうだ。

しかし、それはあえて言うなら真実を覆い隠す”様々なる意匠”にすぎない。そのうしろには、浮ついてもっともらしい”下流社会”ではなく、地に足がついた生活があり、底光りのする”下層社会”が静かに横たわっている。

この「地に足のついた生活」というのが重要だと思う。日本の社会学者は、一般的に見るとあまりこういうのが得意じゃない気がする。経済学者は得意である必要はないと思うのだが、社会学者(の少なくとも一部)は、そういうところをしっかり見てほしいなぁ。

同じ号の世耕弘成参議院議員)、本田由紀東京大学助教授)、宮崎哲弥(評論家)、山田昌弘東京学芸大学教授)の『大論争 日本人は格差に耐えられるか』は、読まないんだったら読んだほうがいいくらいの内容。個人的には、本田氏の誠実そうな人柄には惹かれる。最後の本田氏の問題提起に対する宮崎氏の答えはなんだかズレていると思ったのは私だけだろうか?

左派の構造改革

bewaadさんは非常に賢明な方で、日々教えられること多々なのだけれど、なぜいつまでもこのあまり意味があるとは思えない銅鑼衣紋さんの文章を賞揚しつづけるのだろうか。

http://bewaad.com/20060403.html

「左翼の構造改革(でも革命でもいいけど)が、マクロ経済政策でのつかの間の(あるいは偽りのでも結構)、困窮者・本来の意味での弱者への手助けなど以上の成果を挙げた例に心当たりがないんですね」「経済成長が何事もなしえないというそういう主張こそ、くたばれGNPに代表される朝日岩波文化人的サヨクの絶望的なところ」

第一に、近年の福祉国家論が明らかにしているように、左派勢力や左翼政党がなければ今日のような歳出レベルの福祉国家はなかったわけで、福祉国家がなければ今日の水準の「困窮者・本来の意味での弱者への手助け」は達成できなかったわけで(*確かにその背後にはそれを支える良好なマクロ経済があったわけだが)、そういう意味では「左派の構造改革」は歴史的にはそれなりの意味づけが与えられるべきだ。それとも、福祉国家の巨額の歳出レベルは、すべてマクロ経済政策だとでもいうのだろうか。それか、「左派の構造改革」(および革命?)という言葉は、もっとここ十数年のスパンに限定して解釈すべきなのだろか。それなら少しは納得するけど。

第二に、「経済成長が何事もなしえない」なんていう「くたばれGNPに代表される朝日岩波文化人的サヨク」なんてそんなにいないから、そんなにことさら牽制しなくていいのではないか。