研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

経済学者に関するメモ 

先日大学の卒業式があって、卒業証書とともに経済学部/経済学研究科のパンフを貰った。その中に、佐藤主光という若手の公共経済学者の「経済学で考える」という文章があった。私はあまり熱心な経済学徒ではなかったが、彼の授業は面白かった。「公共経済学」という大学院科目で数式がたくさんでてきてめんどくさい授業をふんばって通したのも、彼の授業のおかげだと思う。資料も授業ノートも充実してたし、なにより頭のキレがいい。ああ、これぞ「経済学者」だなぁと思った。
パンフの文章も、佐藤先生らしい文章だったのでメモしておこう。

経済学を学ぶ目的は、まさに経済に関わる諸問題を正しく理解し、評価することにある。ここで重視されるのは、(一部マスコミで重宝されるような)センセーショナルな主張ではなく、冷徹で厳密な分析である。もし、冷静な目を持つならば、現実は「複雑」であるばかりか、多面的であることが分かってくるだろう。例えば、インフレ・ターゲットがデフレを克服する(=物価の変化をプラスにもっていく)上で有効かどうかにしても、そうであるケースも、そうでない(具体的にはインフレが起きる前に金利が跳ね上がり、円への信頼が失われる)状況も想定できるはずである。評価の視点も、また一意的ではない、消費税の引き上げは国の財政再建に「有効」であるとして、それが望ましいかどうかについては議論の余地があるだろう。国債への信認を確保する、国の財政破綻を回避する、あるいは将来的に安定的な社会保障を実現するためにも消費税の引き上げによる増税はやむを得ないという「見方」もある。しかし、一方で、消費税の増税は貧しい家庭を直撃するだろう。これは「不公平」と見なされるかもしれない。

経済学で特に重要なのは「仮定」(前提条件)である。想定する経済の状況(完全競争的がどうかなど)、価値基準(公平と効率)に依拠して、公共政策(消費税の引き上げ、インフレ・ターゲットの導入など)への判断も異なってくる。このことは決して経済学が役に立たないことを意味しない。現実の経済は複雑であり、どのような政策にも便益のみならず、コストが従うのは事実だからだ。経済学は見たい現実(デフレさえ克服すれば日本経済は復活する、将来、財政が破綻することはない)だけを我々に見せてくれるわけではない。しかし、我々が直面する経済の諸問題に対処していくには経済学のこうした多面的(見たくない部分も含めて)現実を直視する視点が不可欠なのである。

(ともにパンフレットEconomics Hitotsubashi University P21から引用)

こんなに長く引用していいのかわからんが、メモということで。

しかし話はこれで終わらない。佐藤先生は理論家だと思うが、実証研究もやっていて、こんな論文「地方交付税制度に潜むインセンティブ効果ーフロンティア費用関数によるソフトな予算制約問題の検証ー」http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/3841/Akai_mof-transfer_incentive.PDF
も共著で書いている。

(*追記:この研究は、後に一冊の本にまとめられている。
地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4641161933

で、この論文共著者である長崎大学の山下耕治氏は「地方公共サービスの非効率性と財源補填ーー地方公営企業に対するソフトな予算制約問題の検証」(日本経済研究 No.47,2003.3)という論文を書いているのだが、その「まとめ」でこんなことを書いているのだ。

本稿では、地方公営企業のバス事業にフロンティア費用関数を適用し、事業主体別の非効率性を計測した。その結果、その非効率性には、事業主体の過去の他会計依存度が有意に影響していることが事象的に確認された。この推定結果は、地方公営企業が損失を出したとしても、ナショナル・ミニマムあるいは公共性の実現という名の下で、その損失は一般会計等が補填することを事業主体が期待し、その事業主体は効率的な生産活動へのインセンティブを失っていることを示唆している。すなわち、ソフトな予算制約問題が発生しているのである。このような事実は、ナショナル・ミニマムあるいは公共性を実現するための補填と、その補填が非効率な生産活動を誘発し追加的な補填が必要になるという意味において、高い系が「二重の負担」を強いられていることを意味する。したがって、独立採算制を前提とする地方公営企業は、当該自治体の一般財源を浸蝕していることになる。(中略)このような「二重の負担」が拡大する以上、ナショナル・ミニマムあるいは公共性の実現といった原則に踊らされることなく、厳格に独立採算制の適用を図るべきで、他会計からの繰入が拡大する状況に歯止めをかける必要がある。そのためには、徹底的に事業主体の非効率性を監視し、事後的に損失を穴埋めするような補填は糾弾されなければならない。


スピーナムランドとか救貧法とかフェビアン協会とか少数派報告とかベバリッジプランとか、まさにナショナル・ミニマムや公共性の実現そのものを問題にしているイギリス社会政策学をちょこちょこと学んでいる私としては、「ナショナル・ミニマムあるいは公共性の実現といった原則に踊らされることなく」とバッサリ言われると(ToT)って感じなのだ。

このようなまとめかたは、さきほどの佐藤先生の言葉を借りれば、「価値基準(公平と効率)に依拠して、公共政策への判断も異なってくる」ことに対する配慮がなさすぎるように思う。こういう書き方をするから、非・主流派経済学者や社会学者や思想家からいらぬ経済学不信を招くのだろう。ソフトな予算制約問題を認めたとしても、その後の政策提言は、公平と効率を考慮したもちょっとバランスのとれたやり方があると思う。

もちろん、それは簡単なことではない。経済学では、効率に関してはパレート効率という一貫した理論内在的基準があるのに対して、公平に関してはそういうパキっとしたものはないからである(ですよね・・・?)。だけど、そういうめんどくさいことをやりたくないのだったら、政策提言に首をつっこまずに実証分析の結果だけを述べるに留めてほしい。