研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

マル激メモ:選挙特番 この選挙で何が問われているのか[マル激!メールマガジン 2010年07月10日]

マル激!メールマガジンより。放送回はこちら(http://www.videonews.com/on-demand/481490/001496.php

清水: 今回の選挙戦で使われた、各党のキャッチコピーを見ると、民主党の「元気な日本を復活させる」、自民党の「一番を取り戻す」など、せっかく社会の化けの皮が剥がれて問題が露呈してきているのに、それをまた覆い隠そうとするのか、と考えてしまいます。
確かに景気回復をすれば自殺は減りますが、再び景気が後退すれば同じこと。まずは何か問題が発生したときに、なし崩し的に連鎖を引き起こして自殺に追い込まれるような、構造的な問題を解決しなければならないのです。

神保: 経済成長では解決しないであろう、日本社会の「生きづらさ」の根本にあるものは何でしょうか?

清水: 社会に問題が生じた時に、政策として即座に対応するサイクルができていないことでしょう。具体例を挙げれば、連帯保証人制度の廃止については民主党マニフェストにも書かれており、多少は議論が進められているようですが、この制度の問題点はもう10年以上前から言われ続けていること。先程も申し上げたように、実態を分析して解決する、ということができていないのです。

萱野: 経済成長が止まり、成長が行き詰ったときにどうすれば良いのか、社会の根本的問題に手当てをするためには……というテーマを考える土台ができつつある。それなのに「元気な日本」という標語で、建設的に物事を考える態度そのものが水に流されてしまうことを危惧します。

これはネット界隈でも何年も前から繰り返し議論となっている、「経済成長」か「構造改革」の議論の一つである。またこのような「構造改革」優先の議論を、「福祉国家は資本主義社会の根本的・構造的な問題を覆い隠すものだ」とするマルクス主義(の一派)からの伝統的な福祉国家批判とダブらせて批判するのももはや定番だ。(後注:コメント欄のkihamu氏のコメントおよびそれへの回答も参照)

私自身も、5年前に稲葉先生のブログで以下のように書き込んでいる。

リフレ派が左翼に指示を得られない・関心を持たれない理由としては、左翼が問題視するのが、「景気悪化による労働者の生活悪化そのもの」ではなくて、「痛い目にあうのはいつも弱いもの・能力のないものが先」というあたりだからな気がします。「リフレで景気よくなっても、また10年後とかに何らかの理由で景気悪くなったらどうせまた弱いものから切り捨てだろ?そういう社会構造そのものが気にいらねぇのに、リフレ派はそういうことについては何もいわねぇ。でも革命ともいえねぇ。企業社会批判ももはやできねぇ。どうしよ。でもとりあえずネオリベは批判しなきゃ。」みたいのが今の左翼の状況ではないでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20051111#c1132288653

5年前と比べると、私は相変わらずどっちつかずだが、当時よりは、ややリフレ派的な考え方(経済停滞が続くことを前提にいろいろなことを議論し、問題解決を図ろうとするのは上手くいかないし難しいという考え方)に共感を覚えるようになってきている。だが、観念的な左翼ではなく、優れた実践家であり自殺の実態の解明や自殺対策の推進で大きな成果を上げてきた清水氏がこのような主張をしていることはきちんと受け止める必要がある。

それにしても、「経済成長」か「構造改革」かという議論そのものも、「経済成長」優先の議論を「根本的問題への手当て」を遅らせるという議論も、逆に「構造改革」優先の議論を一昔前のマルクス主義(の一派)の福祉国家批判に重ね合わせて批判するというのも、全てもう繰り返し出尽くしたパターンで、なかなか進歩しない。結局は両者の折衷しかないと思うのだが、社会認識や社会思想のレベルでも上手い折衷案を組み立てるのが難しい古典的な問題なのか。

上記メルマガよりもう一箇所抜粋。

宮台: ただ一つ、僕が思うのは、もはや政治的なイデオロギーの対立が存在しないだけでなく、政策的な選択肢はほとんどないということです。小さな政府は不可避、グローバル化へのコミットメントも不可避、グローバル化による格差が生じた時に、社会を保全しなければならないことも決まっています。そして社会を保全するという場合に、地域主権に移行すべきことも選択の余地がありません。それ以外の政策を主張する政党は、世間知らずのトンチンカンであり、問題外です。

私が尊敬してやまない宮台真司は、いつからこんな大雑把な議論をするようになってしまったのか。社会学者ならば、様々なタイプの福祉国家が、グローバル化にどういう対応をしてきたかという、ここ10年、20年で蓄積された理論的・実証的な議論を踏まえてほしい。

参考エントリ:

[社会][財政][社会保障][書評]『日本の難点』:「大きい社会」を支える政府のあり方についてメモ
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20090425#p1

追記:「マルクス主義(の一派)からの福祉国家批判」ってどんなのだったっけと、ググって復習していたところ、以下の松尾先生の簡潔な文章を発見したので抜粋メモ。

マルクス以後の体制批判的経済思想・学説史超入門
matsuo-tadasu.ptu.jp/HistoryofSocialistThought.doc

●ベルンシュタインと修正主義論争
 エンゲルス晩年には、ドイツでマルクス主義に基づく社会民主党が議会第1党にまで躍進し、国際的な労働運動・社会主義運動の組織も再建されました(第2インターナショナル)。しかし、そこでは国家管理的な社会主義イメージが支配的になります。
 エンゲルス死後の1890年代末、ドイツ社民党のベルンシュタインが、労働者が貧困化していないことや中産階級が没落していないことを根拠に、暴力革命を否定して議会を通じた漸進的改良を主張しました。彼はマルクス主義を批判したつもりはなく、「修正」を唱えたものです。これを、革命派のローザ・ルクセンブルクが激しく批判して、ドイツ社民党では「修正主義論争」が繰り広げられました。当時の理論的指導者カウツキーの批判を受けて、ベルンシュタイン理論は党大会で否定されますが、その後のカウツキー指導部は実質的には修正主義化・体制順応化していきます。

ついでにこの部分も抜粋メモ。

ストックホルム学派とスウェーデン福祉国家
 ワルラス一般均衡論が出たあと、スウェーデンのウィクセルは、それをオーストリア学派の資本理論と組み合わせて、今日見られる新古典派の理論体系を確立させる仕事をしました。しかし、今日の資本主義擁護論のような新古典派のイメージとは違って、その理論は、資本主義経済における資産格差の拡大や不均衡の累積を説明するもので、特に、貨幣利子率が自然利子率ほど低くないことから不況を説明する発想には、後のケインズ理論の先取りが見られます。
 ウィクセルの立場は同時期誕生したスウェーデン労働組合運動や社会民主党を後押しすることになり、彼の葬儀には労働運動や社会主義運動の関係者が多数詰めかけて赤旗が林立したと言われます。当初スウェーデン社民党はドイツ社民党マルクス主義の強い影響下に誕生したのですが、1920年の単独政権樹立以来、ウィクセルを始祖とするストックホルム学派の理論のもとに、産業国有化よりは完全雇用と高度福祉国家の建設を志向することになります。