研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

在宅介護と施設介護の費用便益分析?

前に、在宅介護と施設介護に関してこんな文章を紹介した。

施設ケアからコミュニティ・ケアに切り替えても大きなコストの節約にはならないことを研究結果は示している。その理由として、在宅サービスの需要はきわめて価値弾力的であること、介護のコストは介護の場所ではなく要介護の程度に主に依存していること、の2つが挙げられる(OECD、1999)。重度要介護の人には、自宅にいようと施設にいようと同様のコストがかかるということである。ここから、要介護者の在宅・施設間の配分のニーズにあった介護を前提に、最もニーズの高い人に施設ケアを提供すべきであるという考え方が導かれる。

府川哲夫(*国立社会保障・人口問題研究所 社会保障基礎理論研究部長)(2000)『OECD諸国における高齢者介護』 海外社会保障研究 第131号

そしたらこんなのもありました。

 第一章でも明確に指摘されているように、在宅と施設との最適な配分を考えることは、公的介護保険を考えるうえで根本的に重要な問題である。繰り返しになるが、政府が在宅での介護を推進してきた理由の一つは、もちろん高齢者の希望という大儀はあるにせよ、介護あるいは福祉における財政的負担の軽減が狙いであるという指摘は免れえない。確かに24時間専門職の介護を受ける施設介護と、充実したとはいえ量的には専門職の役割はわずかで家族が基本的には介護する在宅介護とであれば、その公的介護保険への負担という意味で、在宅介護が安上がりであるという判断はありえよう。しかしながら、そこには家族にかかる介護負担が無視されているし、他方では施設介護における専門職による介護という質的な利点、集中的な介護を行える規模の経済性(がもしあれば)という効率上の利点も考慮されていない。いずれにしても、たんに公的介護保険や福祉における財政的な負担軽減という視点ではなく、むしろ社会全体の負担を考え、同時に介護サービスからの便益の違いも考慮して、最も効率的、つまり便益当たりの費用が最小化されるような介護サービスの体系、在宅介護と施設介護の組み合わせを判断していくべきであろう。卑近な例で恐縮であるが、一時の公共事業見直し議論の際に強調された点は、高速道路建設にあたってはその費用は、もちろんのこと、渋滞解消、観光誘致といった社会が受ける便益(ただし、政府が直接に受けているわけではないが)が評価され、そのうえで優先順位が決められているということである。では、介護においてそうした視点は持ちえないのであろうか。残念ながら、そうした費用便益分析のための基礎的な情報、特に便益の評価についてhあまったく研究が進んでいない。便益の評価が与えられないのであれば、残りは費用の最小化で、しかも家族介護による間接的な費用を費用として認識しないのであれば、公的介護保険が財政的に負担の軽いほうへ流れるのは、当然のことであろう。今後の介護の研究は、こうした方向で進むことが期待される。

下野、大日、大津著『介護サービスの経済分析』(2003) 東洋経済新報社の「おわりに」(署名は大日康史)より抜粋。


介護サービスの経済分析

介護サービスの経済分析


百歩ゆずって在宅・施設のバランスを考えるために介護サービスの費用便益分析が必要だとしよう。そしたらそこでは、大日氏が指摘するような「家族にかかる介護負担」、「施設介護における専門職による介護という質的な利点」、「集中的な介護を行える規模の経済性(がもしあれば)という効率上の利点」以外にも、「地域から撤退し(おそらく死ぬまで)施設で暮らさなければならない高齢者・障害者の精神的・肉体的不効用」という費用もしくは「最期まで地域で暮らし続けることができる高齢者・障害者の精神的・肉体的効用」という便益もしっかり考慮に入れなければならない。

こういう高齢者・障害者自身の主観的効用・不効用を適切な形で定量的な費用便益分析に織り込むことが可能なのだろうか?もし可能だというのならば、その算定方法をかなり注意深く検討しなければならない。家族介護と同様に、おそらく機会費用か何かで定量化することになるのだろうが、その妥当性を経済学の領域を超えた様々な視点から検討しなければならない。もし定量化が無理ならば、在宅介護と施設介護の効率性評価のための介護サービスの費用便益分析は安易に行われるべきではない。

つーかさ、なんでこう、高齢者介護に対する言説って、介護を受ける当事者の立場がないがしろにされる傾向があるのだろうか。

細かくてくだらないと思う人もいるかもしれないが、例えばこの本の「はじめに」(署名は下野恵子)の部分。

私たちの研究成果が、介護サービス研究者、現場で働いていらっしゃるホームヘルパー、経営者を含めた介護産業関係者、社会福祉協議会や行政の方に、多少なりとも新しい情報を与えることができ、新しい考え方へのヒントとなれば、望外の喜びである。

え??介護サービスを受ける要介護者自身は??現場って、ホームヘルパーどまりなの??と突っ込みたくなってしまう。介護についての実証分析をしたのに、その成果のメッセージの送り手に要介護者が含まれていないのはなぜか。要介護者は難しくてこの本読めないから?でもそしたら大半のホームヘルパーにとってもこの本はむずかしすぎるだろうし、要介護者の中にも難しい本を読める人はいるはずだ。

こういうことは介護や医療の研究ではよくあることだ。こういう些細なところに、介護の受け手である高齢者や障害者の当事者性や主体性に対する、認識の欠落や想像力の欠如を読みとってしまうのは深読みだろうか。

この問題は実に根深い、気がする。

関連文章:
『介護者の専門性と被介護者の専門性(というか当事者性)』
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050812

大日康史氏の研究に関する補足

ちなみに大日康史氏は、介護サービス需要の価格弾力性や所得弾力性の推定といった研究をしているが、この種のミクロ計量分析は重要だと思う。自立支援法で障害者にも一割の応益負担が導入されようとしている今、自己負担の増大によって介護サービス需要がどの程度減少してしまうのか、どのくらいの人が介護サービスを諦めてしまうのか、そういったことに関する実証的な分析は大切だろう。

以下はちょっと古いけど、大日氏の研究に関する新聞報道。立岩ウェブより。
http://www.arsvi.com/0ds/a01.htm

在宅サービスは「ぜいたく品」!? 介護保険の利用動向 大阪大助教授が分析/低所得層、要介護度高いほど利用にブレーキ
 
2001/11/04: 大阪読売朝刊2面

介護保険による在宅サービスの利用が所得に大きく左右され、「ぜいたく品」に近い利用実態になっていることが、岐阜県内の調査をもとにした大日康史(おおくさやすし)・大阪大社会経済研究所助教授の分析でわかった。現実のデータに基づく利用動向の本格的な分析は初めて。大日助教授は「原則一割という画一的な自己負担では、利用にブレーキがかかりすぎ、公的保険制度にふさわしくな。低所得層の負担軽減が必要だ」としている。

調査は、岐阜県の二市三郡で要介護認定を受けた高齢者のいる世帯を対象に昨年十一月、県関連団体が実施。対象の72%にあたる千七十五世帯の回答を得た。

大日助教授は、各世帯のサービスの利用状況(自己負担の総額)が、所得にどの程度左右されているかを示す「所得弾力性」を算出した。この数値が0なら所得に関係なく利用される「生活必需品」。1なら所得が10%増えると利用も0%増えることを意味し、「ぜいたく品」にあたる。

分析の結果、所得弾力性は全体で0・5と高く、五段階の要介護度のうち3、4の世帯は1を超えた。家族構成別にみると、子どもと同居していて要介護度2、3、4の場合に1以上、別居で要介護度5(寝たきり)だと2に達した。

症状が軽いと必要なサービスの量も少なく、低所得世帯でも利用料をあまり気にせず使うが、要介護度が高いと、経済的負担を気にして利用を控え、家族介護で補っていると考えられた。医療保険の場合は所得弾力性が0に近く、所得にほぼ関係なく必要に応じて利用。0・5だと米国の民間医療保険より低所得層に不利な数字だという。

研究究結果は、高松市で開かれた日本公衆衛生学会で二日発表された。

西村周三・京都大教授(医療経済)の話「国もまだやれていない実証的分析で、心配されていた現象が起きている可能性が高い。保険料も利用料も低所得層にきめ細かく配慮すべきだ」