研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

[学問]法科大学院の学費メモ

今日、大学院の入学式があって、退屈なお話の間に院生自治会の配っていた冊子をぱらぱらみたら、学費引き上げについて書かれてた。大学が独立行政法人化されたことによって、国立大学の学費の自主的引き上げが可能になり、うちの大学も学費が引き上げられたのだった。

んで、うちの大学の法科大学院の授業料は、少人数指導などを理由に79万円と他の学部に比べて高額になっている。ちなみに、他の学部は53万5800円円である。

学費の引き上げは他人事の問題ではないが、参入手段が限られている法曹界ではより深刻である。司法試験が廃止されて学費の高い法科大学院のみが法曹界への入り口になるとすると、これはかなりの程度で、貧乏人の法曹界への参入を制限することとなるからだ。
前からそう思っていたが、せっかくだからと思って、家に帰って「貧乏人、法科大学院」でググってみたら次の文章が見つかった。

『制度改変に見る貧乏人の悲哀とその影響』
http://f-liberal.ameblo.jp/entry-42862d18a620a171d2029f209556c81b.html


司法修習生への給費制の廃止にしても、法科大学院にしても、親のすねをかじれない子供には厳しすぎる。社会人になって金を貯めてから挑戦するにしたってかなりの重荷だ。多くの人はあきらめるだろう。(追記:奨学金制度にしても、法化大学院卒業後のキャリアや給与の見通しがはっきりしないならば、三年間で200〜300万円の借金を追うリスクを理由に法科大学院受験をあきらめるものも確実にでてくるだろう。一方、親のすねをかじれるものは、そういうリスクはいっさい考える必要はなく、最悪でも親が損するだけなのだ。)

境界がはっきりと決まっている法曹界は最も分かり易い例だと思うが、他の領域でも同じである。大学進学だって大学院進学だって、いまや国公立でさえ金銭的理由からあきらめる人たちがたくさんいるだろう。私の知り合いでも、何人かいる。

これが仮に長引く不況のせいだとして、景気回復の重要性を唱えるのも重要だが、問題はそれだけではすまない。景気循環は常に存在するし、不況もまた来るだろうから。好況の時に機会平等への「構造改革」が進み、逆に不況の時に機会不平等への「構造改革」が進む、という過程が繰り返されるのならば、時代に翻弄されて夢(に挑戦することすら)をあきらめざるを得ない人々がどっかで必ず再び生まれる。

一度の「景気回復」が一度の「機会平等への『構造改革』」を可能にするとしても、次の不況が再び訪れれば、再び「機会不平等への『構造改革』」が始まってしまう可能性は高い。

もちろん、マクロ経済運営の技術が高まり、景気循環をよりなだらかなものにすることができるならば、機会平等と機会不平等の振り子の振幅も減少させられるのかもしれない。だがどの程度までそれは可能なのだろうか?

また、機会平等の「構造」を安定化させる、どんな方法が他にあるだろうか。革命以外に(笑)。福祉国家論はこの問題に対してどのような知見を与えてくれるのだろうか。最近勉強すすんでないけど。

心もとない知識をもとに、あまり厳密でないメモを書いてしまった。うーん、やっぱりこういう話をちゃんとしたいんなら、やっぱり経済学は必要だなぁ。

追記:手直ししたいところがありすぎる文章で、手直しするよりも削除したいのだが、書いてしまったのでしょうがない。ただ、もし不況のたびに採られるべき政策は受容サイドの政策のみで、不況対策(「不況による財政悪化」対策を含む)としての供給サイドの「構造改革」は必要ないというコンセンサスができあがったならば、「不況になったら機会不平等への『構造改革』が進む」という因果関係はなくなるかもしれない。しかしおそらくそんなことはないのであって、不況になって財政が厳しくなれば、機会不平等への『構造改革』への圧力は、マクロ経済運営の発展にもかかわらず、これからも繰り返されるだろう。だから、マクロ経済運営の発展は歓迎すべき事態だが、それだけでは「機会不平等」を減らしていくには十分ではなかろう、ということだ。不勉強な分野に足を踏み入れすぎた。がんばろー。