『丸激本の第三弾(IT篇)が間もなく春秋社から出版されます。』
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因みにハーバーマスを理解するには、「〈生活世界〉の重視─軽視」という第一軸と、「伝統や共同性の重視─軽視」という第二軸を、掛け合わせた四象限マップが役立ちます。〈生活世界〉を重視しかつ伝統や共同性を重視するのが、「右」すわなち伝統的保守&コミュニタリアン。両方を軽視するのが、「左」すなわちマルクス主義左翼&ネオコンです。
これに対して思想史的には傍流ですが、一方に「〈生活世界〉を重視するのに、伝統や共同性を軽視する(理性を重視する)」ハーバーマスの思想があり、他方に「〈生活世界〉を軽視しつつ、伝統や共同性を賞揚する(理性を軽視する)」国家主義やロマン派の思想があります。どちらも「理性の押しつけ」「伝統の押しつけ」という不人気さを伴います。
過去に存在したローカルな共同体の諸機能をプラスマイナス含めて分析した後に、マイナス機能を無害化しながらプラス機能を最大限発揮できるような人為的共同体を営もうと言うのです。伝統家族が空洞化したなら、伝統家族を復活せよと叫ぶのでなく、それと等価な機能を果たす変形家族(家族のようなもの)を推奨する。それが「再帰的近代」です。
日本は欧州の大半の国に比べて、圧倒的にローカルな自立的相互扶助のメカニズムが壊れ、〈生活世界〉が空洞化しています。加えて、ハーバーマスが期待するような市民的理性(のコーヒーハウス的伝統)も、全くありません。とするなら、ギデンズが提唱したような再帰的近代という選択肢──例えば伝統家族から変形家族へ──しかあり得ません。
だから僕の立場は、〈生活世界〉の空洞化を前提としつつも、超越神とルールの組み合せを持ち出す(アメリカ流)のでなく、市民的理性に過剰な期待をする(ハーバーマス流)のでもなく、頭の悪い伝統主義者のように伝統復活を唱える(八木秀次流)のでもなく、頭の悪い国家主義者のように国家従属[を通じた対米従属]を唱える(一部自民党議員流)のでもなく、ローカリティを再帰的に設計して「自治と補完の原理」を駆動させるというものです。
すなわち美的な〈生活世界〉の再帰的構成に向けて人々を動員していく処方箋です。そうした動員のために、各人の実存スタイルやコミュニケーションスタイルの次元で、「不安ベース&不信ベースの生き方」よりも「内発性ベース&信頼ベースの生き方」の方が遥かに濃密だしカッコいいだろうと、サブカル批評や私塾を通じて価値観を喧伝するのです。
経済学はもとより、T.H.マーシャルやティトマスといった社会学の影響が強いイギリス社会政策学や福祉国家論でも、こういう問題意識は生まれにくいと思う。ちゃんと勉強してないからわからないけど、たぶん。
だからこそ気になるのは、文化レベルではなく、財政・社会保障・労働政策の観点からこのミヤダイ運動をサポートするのは、(あるいは逆に、ミヤダイ運動がその実現のために財政・社会保障・労働政策を打って出るには)いったいどんな構想が考えられるだろうか。まずは財源も含めた地方分権を徹底させて、地方政府と国民生活の繋がりをもっと強くするってところか?それとも、文化啓蒙を進めて動員が成功すれば、おのずと青写真が見えてくるのだろうか。それは厳しいだろう。要勉強だなぁ。