「高齢者」の社会的構築と公共政策
10月4日の日本経済新聞の『経済教室』において、神戸大の小塩教授が次のような論を述べている。
以下は要約の部分。
人口減少社会において社会保障給付の充実は現役層の負担増さらには将来世代への負担先送りにつながりやすく、その吸収は困難になる。日本にとって「小さな政府」の実現は喫緊の課題であり、高齢者向け給付の圧縮や高齢層内の所得再分配の強化を急ぐ必要がある。
本文で重要な部分は次の部分。
しかし、人口減少が本格的に進むようになると、政府の規模をめぐる議論は世代間格差の問題に直結する。特に、原稿の高齢者向け社会保障の仕組みは、幻影着そうが財源を支えてようやく成り立っている。そのため、「大きな政府」を目指し、給付の充実を目指せば、現役層の負担が増加する。ところが、現役層も負担の増加は嫌だから、それを回避しようと考える。
そのため、人口減少が進む中で「大きな政府」が目指すことは、将来世代への負担先送りにつながりやすい。しかも、その負担は人口が減少すると吸収しにくくなる。「負担が高くても、その分給付が充実していれば問題ない」といった、負担する世代と給付を受ける世代の違いを無視した議論は間違いである。
人口減少の元では、政府への依存は将来世代への依存を意味する。われわれが注文をつけ、頼ろうと思いがちな政府は、これから減少する将来世代そのものなのである。そう考えても、われわれはなお「大きな政府」を目指すべきだろうか
この種の議論は珍しいものではない。「高齢化>高齢者向け給付の増加>現役世代もしくは将来世帯の負担増」という因果関係を想定し、それを世代間の公平性(衡平性)という観点から危惧し、福祉給付削減を主張する、という流れである。
このような論に対し、高齢者という概念それ自体の社会構築性を指摘し、既存の高齢者概念を前提として組み立てられた公共政策やケアの制度を批判する人(たち)がいる。その論のうち、高齢者への社会保障給付と関連する部分をすこし紹介しよう。
その前にまずは、高齢者という概念の社会的構築性について。
20世紀において、高齢者はしばしば不本意ながら、政策の犠牲者にされてきた。高齢者という概念は社会政策や経済政策によって構築され、また再構築されてきた。つまり、資源の分配や配給という目的のために都合のいい社会的カテゴリーに入るように、高齢者の該当年齢を調整することが求められてきたのである。さらに、高齢者は、高齢化を「管理」するために設立された福祉国家の諸機関に、そして政策立案者や専門家官僚の対応策の変化に合わせていくことを求められてきた。
アラン・ウォーカー(1997)『ヨーロッパの高齢化と福祉改革』ミルネヴァ書房 所収の論文「高齢化と社会政策」p.2
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4623026914/qid=1128446875/sr=8-2/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl15/250-0365928-1969810
もう一つ、さらに踏み込んだ説明。
ある社会の高齢者に対する社会政策は、その社会の経済〔国内および国際的)、国家、労働市場、そして階級的、性的、人種的、年齢構成的な社会的分断といった文脈の中に位置づけられる。高齢化の意味が「作り上げられる」というのは、こうした機構や法則の枠組みの内部でのことである。それには、テクノロジーの変化に対応する経済や産業の再編成、高齢者の立場を微妙に左右する日々の経済運営や行政、社会的機構の発展といったものが含まれる。
こうした展望に立ったとき、分析の中心は、高齢化のプロセスへの個人的適応やそれを管理するための政策的対応から、社会的、経済的構造を維持または変化させる国家や産業の、より総合的で制度化された政策へと移ることになる。
前掲書、pp.7-8
さて、このいかにも社会学的な記述はこのくらいにして、こういった立場から、高齢化社会の問題がどのように見えるのか。導入として、戦後ヨーロッパ(1940年代から1970年代初頭まで)の公的年金制度の確立について述べている部分を抜粋しよう。
公的年金制度の確立とそれに付随する退職条件の整備は、定年退職制度を急速に拡大させた。こうして、政策の上では、高齢化は退職年齢と結びつけて考えられるようになったのである。言い換えれば、高齢は退職年齢として客観化されるようになった(EUでは55歳から67歳までがこれにあたる)。ベヴァリッジを含めて、政策立案者たちは人々が退職を延期するよう奨励するつもりだったのだが、実際には、普遍的な退職年金制度は雇用主が自分の労働力の大部分を恣意的な年齢基準に基づいて退職させることを可能にするとともに促進することとなった。このことは、生産的で経験豊かな労働者つまり高齢の労働者が、ある年齢に達するとただの高齢者として再定義され、ひとまとめにして社会問題と見なされてしまうということを意味した。しかし、高齢者自身は、こうした高齢の定義が下されるにあたって、無力な将棋の駒にとどまったわけではない。労働組合の高齢者の代表たちは、公的年金制度を強く主張するとともに、この制度が早期退職に関する自由選択を伴ったものとなるように圧力をかけた。私はここで、普遍的な年金制度が大きな社会的進歩ではなかったなどと言いたいのではない。この制度の導入以前には、退職は厳密に年齢と連動したものではなく、機能的な問題だったが、労働者は雇用主の意のままに仕事から放り出され、退職後の労働者を待ち受けていたのは、多くの場合みじめな貧困であった。しかし、定年退職制度と退職年金はまた、高齢者の中に全般的かつ強制的な失業を、そして多くの高齢者に経済的依存と結びついた低所得や貧困をもたらし、永続化するものであったのである。
(中略)こうした定年退職の制度化の帰結はどのようなものであろうか。キー・ポイントは五つある。第一に、高齢者の経済的依存が実質的に拡大した。100年前のイギリスでは、65歳以上の男性の3分の2が経済活動を行っていたが、今日ではたった7%が行っているにすぎない。(中略)
第二に、定年退職制度は、雇用、社会保障、そしてより広い社会関係における高齢者差別の源泉となってきた。(中略)
第三に、退職の結果として、所得に対する高齢者のニーズは「経済活動を行なっている」人達より低いという考えが受け入れられてきた。(中略)
第四に、定年退職制度や先に述べた諸要素は、高齢者が単に社会問題であるだけでなく経済的重荷でもあるという考え方に力を貸してきた。(中略)
第五に、保健および社会サービスにつての政策とその実施に関していうならば、そうしたサービスが拡大し、専門家が進められたのはこの時期であった。政策立案者たちが高齢者を依存的、受動的な存在と見るようになった以上、保健および社会サービスの専門家や制度がこうした見方を反映したとしても不思議ではない。(中略)
前掲書 p.12
アラン・ウォーカーはこのような立場から、「高齢者=経済的依存者=社会の重荷」というイメージと、それを前提とした「世代間の公平性」という概念のイデオロギー性と、その帰結(と少なくとも彼は考えている)としての福祉リストラを批判するのである。その批判がプラクティカルな政策論争、財政論争の中でどのくらい有効かは私には判断つきかねるが、やはり社会学者はこういう仕事ができるとかっこいいなぁと思う。
ちなみに、定年退職制度については、最近、これもまた日経の『経済教室』で取り上げられ、労務屋さんが取り上げている。
『定年廃止は何の解決にもならない』
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20050916