研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

『税のはなしをしよう。』をネタに社会保障と財政について考える。

財務省主税局が定期的に出しているパンフレット『税のはなしをしよう。』の新しいバージョンが10月に出ていた。
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/pn01.htm

*ちなみに、財政全体についてのパンフレット『日本の財政を考える』
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/sy014_1709.pdf
もある。

素人があまり財政の具体的な領域に踏み込むのは怖いのだが、今日はこの『税のはなしをしよう。』のパンフレットを使って、少し財務省よりの立場で財政について書いてみようと思う。

自立支援法案や医療費抑制案などに象徴されるように、政府の福祉給付水準切り下げの方向がますます明らかになっている。そんななか、福祉水準に敏感な福祉業界や一部の野党からはあいかわらず、「社会保障ではなくて公共事業・公務員人件費・防衛・その他の歳出削減を徹底しろ」の声が強い。しかし、「公共事業・公務員人件費・防衛・その他の歳出削減」でどのくらいの歳出削減が達成できるのだろうか。簡単に計算してみよう。

まず、次の図を見て欲しい。
『国の財政はどうなっているの』
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/07-08.pdf

これによれば、平成17年度一般会計予算の歳出は、

社会保障      20兆3808億(24.8%)
公共事業      7兆5310億(9.2%)
文教及び科学振興  5兆7235億(7.0%)
防衛        4兆8564億(5.9%)
その他        8兆7913億(10.7%)
(以上一般歳出 47兆2829億)
地方交付税交付金等 16兆889億(19.6%)
国債費       18兆4422億(22.4%)

である。

そして、基礎的財政収支プライマリーバランス)を平成十七年度の一般会計予算で考えると、15兆9478億円の赤字である(47兆7929億(歳入総額ー公債金収入)ー63兆7407億(歳出総額ー国債費)=−15兆9478億)。

基礎的財政収支プライマリーバランス)とは、
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/11-12.pdfの右下から引用すると

「借入を除く税収等の歳入」から「過去の借入に対する元利払いを除いた歳出」を差し引いた財政収支のことをいいます。基礎的財政収支が均衡すれば、政策的支出を新たな借金に頼らずにその年度の税収等で賄えていることになります。

である。

さて、ここで、平成17年度一般会計予算を材料に、次の5つの仮定をおいて、「社会保障ではなくて公共事業・防衛その他の歳出削減を徹底しろ」という主張について考えてみよう。

1.基礎的財政収支の均衡を実現する。
2.社会保障費は一切削減しない。
3.地方交付税交付金等は一切削減しない。(*)
4.増税は一切しない。
5.政府がなんの改革もしないと、歳入・歳出は平成17年度一般会計予算のような形が続く。(**)

(*)地方交付税については、いま三位一体改革でいろいろ議論がなされているが、とりあえず無視。後述。
(**)5はつまり、景気変動や人口構成の変化による歳入や歳出の変化は考慮しないということである。この仮定は、今後の高齢化や国債利払い費の増大による歳出の増大や景気回復による歳入の増大を考えるとかなり非現実的な仮定だが、とりあえず単純化のために。最後にいいわけがましい注があります。

すると、1.「基礎的財政収支の均衡を実現する」を2〜5の仮定下で実行するには、国債費が義務的経費であって削減できないことを考えると、

公共事業      7兆5310億(9.2%)
文教及び科学振興  5兆7235億(7.0%)
防衛        4兆8564億(5.9%)
その他        8兆7913億(10.7%)

から基礎的財政収支の赤字分15兆9478億を歳出削減しなければならないことになる。

そこで、次のように歳出削減を実行するとしよう。

・公共事業の50%削減
・公務員の人件費20%削減
・文教及び科学振興を1兆円削減
・防衛費を1兆円削減

ちなみに「公務員の人件費20%削減」は、民主党が先日の衆院選前から「改革の本丸」とかいっていて、今も連合や官公労ともめているやつだ。

『公務員人件費の削減こそ改革 岡田代表強調』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050831-00000003-san-pol
『【潮流】前原民主党と連合 是々非々で共存を模索(10/06)』
http://www.sankei.co.jp/databox/election2005/0510/051006m_pol_57_1.htm

すると、実現する歳出削減は

公共事業 3兆7655億
人件費  9314億(*)
文教及び科学振興   1兆
防衛費        1兆
合計         6兆6969億

となる。このように大胆に「歳出削減」をしても、その合計額6兆6969億は、1.「基礎的財政収支の均衡」に必要な歳出削減額の15兆9478億の半分にも及ばない。民主党の主張する人件費二割削減なんて、1兆円にも及ばない。

(*)国家公務員の人件費4兆6571億の20%= 9314億。国家公務員の人件費は『税のはなしをしよう。』のデータではない。財務省のウェブで公式なデータを見つけられなかったので、
『国家公務員の人件費』(国家破綻研究ブログ)
http://gijutsu.exblog.jp/2030276/
を参照させて頂いた。ちなみに、こんなのもありました。日本がすでにかなり「小さな政府」であることがよくわかります。
『公務員人件費の国際比較』http://www.dir.co.jp/research/report/capital-mkt/capmkt/05093001capmkt.pdf


つまり、どんなに大胆に「公共事業・公務員人件費・防衛その他のムダな歳出削減」を行っても、1の「基礎的財政収支の均衡の実現」はまず不可能である。

ここで、あくまで2.「社会保障費は一切削減しない」の仮定を堅持するならば、他のどの仮定を取り下げたらよいかを考えよう。まず、3「地方交付税交付金等は一切削減しない」の仮定の撤回は、結局、地方交付税の削減分とほぼ同額の国税から地方税への税源移譲を伴うだろうから、結局国の歳入も地方交付税の削減分だけ減少し、1の実現にはあまり関係がないだろう(*追記 これは全く間違いで、税源移譲と交換に削減されるのは国庫支出金であり、しかも国庫支出金の削減幅と同額の税源移譲がなされているわけではない。そして地方交付税を削減するなら大都市に偏在しない税源の地方への移譲を進めろ、という意見もあるものの、これからの地方交付税の削減は、税源移譲とは関係なくただ国の歳出カット(と歳入の維持)のために実現されることもありうる。よってこの議論は使えない。「地方の歳入確保能力は(国庫支出金であれ税源移譲であれ地方交付税であれ)維持される」という仮定だったら、上の議論は成り立つかも。不勉強でした。)。すると残された道は4の撤回すなわち増税のみである(5は仮定というより計算上の与件なので)。(地方交付税改革による予算のハード化による自治体運営の効率化による歳出削減、はとりあえず考えないとして先ほど計算した「公共事業・公務員人件費・防衛・その他の歳出削減」6兆6969億が実現するとするならば、基礎的財政収支均衡の実現のための増税額は15兆9478億ー6兆6969億=9兆2509億円ある。現行の税収は、

所得税 13兆1640億 
法人税 11兆5130億
消費税 10兆1640億

再び『国の財政はどうなっているの』(http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/07-08.pdf)より

であることを考えると、どれを上げるにせよ、二倍ちかくのかなりの増税となる。ただ、法人税はともかく、所得税と消費税の負担水準は他の先進諸国と比べてかなり低い状態にあるので、まったく非現実的だとはいえない。『税のはなしをしよう。』の以下のページを参照。

所得税はどうなっているの?』
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/13-14.pdf
『消費税はどうなっているの?』
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/17-18.pdf
法人税はどうなっているの?』
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/15-16.pdf

もちろん、税負担二倍で歳出水準(とくに社会保障水準)はそのまま、というのは政治的には絶対にむりだろうが。

これはある財務官僚がいっていた言葉なのだが、日本という国は「低福祉-超低負担」国家なのだ。つまり、国際的にみると、確かに社会保障に対する歳出は少ないが、それ以上に税の負担が低いのである。その分、財政赤字は膨大である。

ここまでくれば、福祉水準の維持・向上を目指す野党や福祉業界の目指すべき方向は明らかであると思われる。「社会保障ではなくて公共事業・公務員人件費・防衛・その他の歳出削減を徹底しろ」なんてノンキなことをいってないで、とにかく増税を訴えるべきではないか。

もちろん、どのように増税するかという問題がある。所得の再分配と福祉水準の維持・向上を目指す本性左翼ならば、当然、法人税増税所得税の累進化、そして抜け穴の改善等が消費税の増税の前に来るべきなのかもしれない。(法人税はキャピタル・フライトの問題や税の帰着の問題や財界の圧力もあって政治的にも経済学的にも厳しいかもしれないが。)

しかし、自立支援法案のように、社会的・経済的に最も弱い層までも「歳出削減」の対象になってしまう緊迫した財政状況(あるいは、そのように演出されている政治状況)を見るに、時には、政治的に実現が比較的容易な消費税の増税を訴えて、日本の財政基盤と社会保障制度を安定させていくことも左翼の戦略として必要なのではないだろうか。

左派がよく持ち出す消費税の逆進性の話はたしかに重要だが、それだけでは日本の消費税がOECD諸国の中で圧倒的に低いことを正当化できない。そもそも、もっとも平等な福祉国家を実現したと左翼が賞賛する北欧諸国は、世界でもっとも高い消費税率を有している。

これもある財政官僚の言葉なのだが、日本の政治家は、与野党問わずに増税アレルギーがハンパではないらしい。増税という言葉を口にすると次の選挙で職を失ってしまうのではないか、という強迫観念が彼らからは強く感じられるという。

ここらへんの増税アレルギーは、政治学、政治経済学、財政社会学の立場からいろいろ検討されるべきだろう。とにかく、与野党+マスコミの「サラリーマン増税」に対するヒステリックな批判や「歳入改革の前に歳出改革を」のヒステリックな叫び声を聞くにつけて、なぜ社会保障を重視する立場から実現可能性の高い「増税論」がでてこないのか、疑問は募るばかりだ。

追記1:5.『政府が何の改革もしないと、歳入・歳出は平成17年度一般会計予算のような形が続く。』の仮定は、今後の高齢化や国債利払い費の増大による歳出の増大や景気回復による歳入の増大を考えるとかなりあやしい、という話ですが、ここらへんを考慮にいれるには、私のマクロ経済学の知識ではムリです。これは、1.『基礎的財政収支の均衡を実現する』という目標が果たして適当かどうかという問題にも関わりますが、これも私のマクロ経済学の知識では扱えません。そういう議論は例えばここ
『陰鬱な科学からのとびっきりのお知らせ」要約版』
http://bewaad.com/20051010.html#p01
などを参照してください。

追記2:でも、例えば社会保障目的消費税を導入したりすると、社会保険料との整合性はどうなんだ、という問題がでてくる。社会保障目的消費税ができ、さらに社会保険料も上がり、両方がごちゃごちゃと年金、医療、介護に投入されるというのはなんともわかりにくい感じがする。個人的には、年金も医療も介護も基本的なところは税でまかない、市民権(citizenship)に基づいて普遍的に国民に給付される、というのが好ましいと思うのだが、これは規範的・実証的にはいろんな議論があるだろうし(例えば広井良典(1999)『日本の社会保障岩波新書とか。この著書がロールズやティトマスやエスピン・アンデルセンの業績に言及しているように、ロールズ以降の政治・経済哲学(日本ではやっぱり後藤玲子か)もイギリス系の社会政策学もエスピン・アンデルセン以後の福祉国家論もここらへんを議論し続けている。)、そもそも医療と介護に関しては、厚生労働省が保険モデルをそうやすやすと手放すとは考えにくい。

追記3:ただし基礎年金を全額税金で賄う、というのは国際的にほとんど(全く?)例がないらしく、生活保護との兼ね合いで難しいところもある、とある厚労省の役人がいっていた。