研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

『所有と国家のゆくえ』+ちょっとだけ本田ブログ閉鎖事件(追記あり+関連項目リンクを追加)

今日は泊り込みの介助(介護)の仕事の日。寝付けないのでパソコンを借りて書くことにした。時期的には、『所有と国家のゆくえ』で扱われているネタについて時間をかけて書きたくないし、本田ブログ閉鎖事件についてはもっとそうだ。最近はそういうことについてあまり考えていない。だけど、せっかくだし、なるべく単純に、書くことにしよう。あまり本の内容には触れずに、立岩氏と稲葉氏の立ち位置について書く。

所有と国家のゆくえ (NHKブックス)

所有と国家のゆくえ (NHKブックス)

『所有と国家のゆくえ』についてはブログ上では

『所有と国家のゆくえ』反響
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060903/p2

『所有について考えることの面白さについて』
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20060902#p2

『ちなみに』
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20060902#p3

稲葉振一郎立岩真也「所有と国家のゆくえ」(その1)』
http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20060901/1157121175

『読書』
http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/20060904/p2

などが読める。

synseedsさんのところには、重要な論点について書かれている上に、山形氏や稲葉氏本人の長めのコメントがある。

で、上記のブログやコメントを斜め読みした上での感想だけど、やっぱり立岩氏がなんで所有についてうにゅうにゅ考えているのか、そっから議論をスタートした上で、稲葉氏の立ち位置について考えた方がよかろう、ということだ。


唐突だが、貴方(食っていけるくらいの労働能力を持っている健常者だとする)は今、手も足も動かず口も利けない二人の重度の障害者A,Bと向き合っている。彼らは、かろうじて動く右手の人差し指と文字盤を使って、貴方にこう言うのだ。

障害者A

私は自分で稼げない。だから、私は人様から物を譲ってもらって生きるしかすべがない。そんな自分が情けない。こうやって、人様から物を譲ってもらって、介護までしてもらって、こそこそと一生を終えるのが私の人生。貴方はいいわね、自分で稼げて。堂々と生きれて。楽しそう。

障害者B

そんなことはない。私は一人の人間だ。一人の人間として全うに生きていく権利がある。必要な物を手に入れる権利があるし、必要な介護を手に入れる権利もある。必要なものは手に入れて、誇りを持って堂々と一生を終えてみせる。私は貴方のように稼げないが、貴方と同じように生きていく権利があるし、どんなことがあっても生き抜いてみせる。

貴方はこの二人に対して、どのような言葉を投げかけることができるのか?立岩氏、山形氏、稲葉氏の「答え」はさておき、「答え方」のイメージはこんな感じになるだろう。

・立岩氏は、二人を目の前に、頭を抱えて、ぐにゅぐにゅと考え出す。
・山形氏は、自分が二人の目の前にいることを想定せずにハツラツと語り始める。
・稲葉氏は、立岩氏を暖かく見守りながら、それでいて、山形氏の語ることも一理ある、とうなずきながら、二人をとりあえずその場に残し、自分の立ち位置をうろうろと探しまわる。

まず、立岩氏の思考スタイルは、実際に、現実の自分の生活の問題と決して離れることができなかった障害者運動・思想の強い影響を受けており、まさに上記のようなリアリティのある問いにどう答えたらよいか、という問題意識からスタートしているように見える。

次に、山形氏については、単に彼のイメージに基づいたものであって、「いや、山形氏もぐにゅぐにゅ二人の前で考え出すだろう」といった類の指摘があれば訂正します。

さてそれでは稲葉氏は、どこをうろうろしているのか。それはまだ、本人にもクリアーには見えていないのだろう。だから、繰り返し、立岩氏からそのことを質問されるが、のらりくらり、かわしていくのだ。

「所有と国家のゆくえ」は簡単にいうとそういう本だ。

では、のらりくらり、稲葉氏はどこらへんをうろうろしているのだろう。本田事件も絡めて少しだけ書いてみよう。

まずは、わかりやすい例をだそう。synseedsさんが『ちなみに』で指摘している点を取り上げてみよう。

『ちなみに』
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20060902#p3

確かに立岩氏はここで、ある経済の生産能力のレベルを、「現在の技術の水準と働ける人の数」で計ることができる、という思い違いをしてしまっているようだ。この過ちは、立岩氏の所有に関する原理的考察がおかしいからこうなったというより、ただ単に経済学的な無知から来ている。

そして稲葉氏の立ち位置はまず第一に、立岩氏の原理的考察をリスペクトしながら、そこからたまに勇み足的にみられるこのような経済学的な思い違いはよくない、というものだ。原理的考察や規範的命題を現実的な政策の議論に持っていくときには、経済学的な誤解や思い違いや、そこから生じる意図せざる結果には気をつけてね、というもの。本田氏に対する稲葉氏の立場も、基本的にはコレだったのだと思う。ただ、本田氏は、立岩氏のような「積み木を積むように」原理的考察はしない人であり、立岩氏のように「ここから先はよくわからない」と素直に言うことができなかったから、自分が言いうることの境界を的確に把握することができずに、境界をはみ出して、いろいろと地雷を踏んでいたように見えた。

あんまりいい比喩ではないけど、こういう感じだ。立岩氏は地雷がたくさん埋まっている地雷高原(経済学)の手前の海抜ゼロの海岸あたりの領域(所有論)を主たる研究対象にしてきたのに対し、本田氏は地雷高原のすぐ隣の別の高原(教育社会学)を主たる研究対象にしてきた。そして本田氏は、そこから、備えもなしに、地雷高原に足早に駆け込んでしまった。地雷高原ではない他の高原にも迷い込んでしまったのかもしれない。立岩氏は、たまに勇み足はするけれども、基本的に自分の領域の中で仕事をしている。

稲葉氏は、立岩氏にも、本田氏にも、地雷高原は重要だ、地雷高原に気をつけろといい続けている。そして、そこに入り込むのならば、それなりの備えをしろ、といい続けている。

だけど第二に、稲葉氏ののらりくらりのポジションは、どうもそれだけではないような気もしている。それについては、私はよくわからない。一つには、立岩氏のいる海抜ゼロの海岸と地雷高原が、本当に陸続きなのか、陸続きだとしたらどのようにつながっているのか、そこらへんがはっきり見えないから、いろいろ考えているのだろう。

なんだか比喩ばっかりになってきたから、もうやめよ。

最後に補足的に一つ。障害者運動に接していると、所有の問題はとてもラディカルであると同時に、とてもリアリティのあるものと感じられる。最初の問いもそうだけど、所有の問題はまさに日々の生活の問題であるのだ。だけど、多くの人にはそうは感じられないだろう。「ラスカルの備忘録」での立岩氏の議論への違和感の表明の仕方にも、それは現れている。

また、この所有に関する立岩氏の補足説明の中には、「誰が最初にどういうものを持ってていいってことになってんの、という問題こそが基本的な問題」という発言がでてくる。これらの論点は、初期状態における手持ちの「資産」を所与として考える思考に慣れきった自分には違和感として残る。

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20060901/1157121175

また、synseeds氏も次のように述べている。

で、所有についてだけど、最初は何でここまでさかのぼって考える必要あるのかなーと思っていたけど、確かにこれは面白い。

http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20060902#p3

この後、エントリでもコメント欄でも、所有の問題は、主に思想の問題として扱われ、生活の問題としては扱われない。別にそれが悪いわけではないが、きっと所有と生活は、多くの人にとってはそんなにすんなりとは結びつかないのだろう。そこらへんの認識の違いも、どっかで議論のすれ違いや対立に繋がるのかもね。

追記:実は稲葉氏ののらりくらりな立ち位置は、本書でそれなりに明確に示されている。

となれば「福祉国家主義」・「社会主義」は、マクロ的な目で見ればおそらく社会的に有用な思想なのではあるが、それはあくまでも市場経済体制の補完、あるいは体制の暴走への抵抗の思想としてこそ有意義なものとなりうるのであり、それに取って代わりうるものではない、とぼくは考える。

ただ厄介な問題がある。おそらく「福祉国家主義」「社会主義」の徒がその任を正しく果たすためには、客観的には市場経済を補完するためにではあっても、主観的には本気で真剣に市場経済と対決し、それを否定しなければならないのではないか、ということだ。もちろんそのような真剣さは、時に暴走し、本当に市場経済を否定する愚挙を帰結することもありうる。しかしながら反面、そのようにくそまじめな「社会主義」の存在無くして、市場経済の暴走を防ぐことはけっこう難しいかもしれない、ともぼくは危惧するのである。

p268

けっこう明快にのらりくらりしているのである。

*関連項目:ちょっと前ので恥ずかしいけど。こういうことについては、このころからちっとも進歩していない。

<他者>が在ることの受容
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050210

所有(権)に関する妄想メモ
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050426

『「資本」論』に対する素朴な疑問 
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050925#p1