研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

地方分権とナショナルミニマムメモ(*追記あり)

id:sunaharayさんの一連のエントリ

分権委員会第二回会合
http://d.hatena.ne.jp/sunaharay/20070418/p1
第三回
http://d.hatena.ne.jp/sunaharay/20070426/p1
第四回
http://d.hatena.ne.jp/sunaharay/20070502/p1
一月経過
http://d.hatena.ne.jp/sunaharay/20070505/p1

に触発されて、自分も全資料にざっと目を通してみた(さすがに映像は見ていないが)。

http://www.cao.go.jp/bunken-kaikaku/iinkai/kaisai/kaisai-index.html

まだまだわからないことは多いのだけれども、一つ気になったのは、ナショナルミニマムというブラックボックスは、ブラックボックスのまま議論されていくのだろうか、ということ。

岩田規久男『「小さな政府」を問い直す』
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20061013#p1

でもぶつくさ書いたんだけど(ぶつくさじゃだめなんだろうけど)、やはりナショナルミニマムって、大切だけどよく分からないし、あまりきちんと議論されていない。第二回の猪瀬氏の報告に典型だけど、「すでにナショナルミニマムは達成された」みたいな印象論が横行しているのが気になる。

第四回では井伊先生がナショナルミニマムは国家が全額負担するのが望ましいという、経済学者として非常にオーソドックスな議論をしている。そのとおりだと思うけれども、じゃあナショナルミニマムは何だという議論になると、そう簡単にはいかないだろう。

ここらへんは本当にややこしい。ナショナルミニマムというと、よく生活保護の問題が取り上げられるが、介護保障も重要なナショナルミニマム問題の一つだ。介護保障におけるナショナルミニマム問題はある意味生活保護よりも線引きが難しい部分があって、神野直彦氏のような「地方政府による福祉重視」路線を鮮明にしている左派財政学者と、よりラディカルな(?)障害者運動の間にも、どっかで見解の違いででてくる可能性がある。

そういえばちょっと脱線するが、2004年の教育費の一般財源化問題の際にも、神野氏はそれを支持したが、多くの左派はナショナルミニマムの観点や地方間格差が広がることへの懸念から教育費の一般財源化に反対していた。知事の賛否も割れていた。ちゃんとフォローしてなかったから、いくつかググってみたらいろいろあった。

義務教育特別部会(第18回及び第19回)>神野直彦氏の意見
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo6/gijiroku/001/05062201.htm
地方六団体の国庫補助負担金等に関する改革案の付記意見>都道府県知事の意見
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo6/gijiroku/001/05060701/001-2/001-2-5.htm
「日本の教育を考える10人委員会」>佐和隆光氏他の意見
http://10nin-iinkai.net/data/teigen2004.pdf
「新しい時代の義務教育を創造する」素案への意見>苅谷剛彦氏の意見
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo6/gijiroku/001/05101301/t009.htm
朝日新聞シンポジウム「転機の教育」>苅谷氏他の意見
http://www.asahi.com/sympo/kyoiku4/15.html

話を介護保障に戻すと、神野氏は、下記の地方六団体の委員会の最終報告に見られるように、「国税地方税の税源配分を5:5」、「地方共有税構想の実現」、「国庫補助負担金の総件数を半減」等によって税財政の地方分権を進めて、住民に身近な地方政府による豊かな社会保障を、という構想を持っている。

分権型社会のビジョン(最終報告)
『豊かな自治と新しい国のかたちを求めて』
〜「このまちに住んでよかった」と思えるように〜
第二期地方分権改革とその後の改革の方向
http://www.mayors.or.jp/rokudantai/teigen/h181129vision.htm

一方、JILなどの障害者団体は、国庫補助負担金が削減されて一般財源化されることには、(おそらく税源移譲や地方交付税のあり方とは関係なく)強い危機感を感じている。例えば、以下の2004年のときの介護保険「統合」問題のときの全国大行動の呼びかけ文を参照。

6.9 障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動
http://www.kaigoseido.net/topics/04docu/0609koudo.htm

もちろん、小泉内閣時の「補助負担金の整理縮小ならざる補助負担率のカット」は、神野氏などの左派の地方分権推進側の財政学者にとっても不本意なものだったと思う。しかし、地域間格差の少ない税源を用いた税源移譲が十分に推進され、さらに地域間格差に十分配慮した地方交付税(地方共有税)が実現したとして、そのときの国庫補助負担金の整理縮小・廃止に関しては、神野氏のような「地方政府による豊かな福祉」を目指す財政学者と、地方政府を基本的に信頼しておらず、全国的な高水準の介護保障を求める障害者運動側では、国が保障・指導すべきナショナルミニマムの水準に関して賛否が対立する可能性も高いだろう。

教育でどうなのかはわからないが、障害者介助のような分野では、声の大きい障害者がその地域にいるかいないかで、市町村の態度や介護保障の水準が大きく変わってきてしまう。だからこそ、市町村や都道府県のみならず、厚生労働省を相手に運動をして、市町村が後ろ向きならば、厚生労働省から圧力をかけてもらう、ということもしてきたようだ。

その点、たしかに神野氏のようなやや楽観的な「豊かな地方政府」論には、危惧すべき要素も含まれている。しかし一方で、市町村が地方税地方交付税(地方共有税)によって豊かな財源に恵まれ、福祉にも積極的ならば、障害者運動側も、安定した全国組織に支えられながら、国相手の運動よりも地方政府相手に個別に運動をしていくほうが(今もしてるけど)上手くいくかもしれない。実際、東京の多摩地方などの障害者運動が強い地域では、もともと市町村との関係も強かったが、最近では先を見越して、さらに地元の市町村内での影響力を高めていこうという動きもあるようだ。

ただし、地方において高齢化が進み財政も厳しくなっていく現状で、すべての地方でそのような方向に流れていくのだろうか?今でも相当ある介護保障の地域間格差が、さらに大きく拡がってしまうことにはならないだろうか?よくわからん。まぁそれ以前に、神野案とは違う方向に地方分権社会保障が流れていく可能性も高いのだけれども。

「福祉政府」への提言―社会保障の新体系を構想する

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希望の構想―分権・社会保障・財政改革のトータルプラン

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*追記
お忙しいところ、id:sunaharayさんからトラバを頂いた。何だか不用意に落ち着かない気分にさせたようで、反省。恩を仇で返してしまった。確かに(いつものことだが)何を意図しているのかわかりにくいエントリだった。トラバ先のコメントも参照のこと。