研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

「慈善じゃなくて権利」の次が(も)必要

前回エントリのブックマークで気になったコメントが一つあり、なんかそこにいくつか☆も付いていたので簡単に応答を。ブクマのコメントにマジレスもなんですが。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/dojin/20090106%23p1

id:kyo_ju 社会, 労働, 政治 福祉国家の実現には確かに保守も巻き込む必要があるけど、ノブオ先生やdankogaiの場合単に労働者保護撤廃したいだけだからなぁ。/「やさしい」にも違和感。慈善じゃなくて権利なんだってば。

>ノブオ先生やdankogaiの場合単に労働者保護撤廃したいだけ

dankogai氏は普段読んでないから知らないけど、池田氏が労働者保護を撤廃したいのは、非熟練労働者をいじめたいからではなくて、そうすると失業率が下がって結果的に救われる労働者が増えて世の中がよくなるという論理だからである。それに反論したいのならば、労働者保護を撤廃しても必ずしも世の中がよくならないこととか、労働者保護をどのようにすれば世の中がもっとよくなるかを論じないと意味がない。

>「やさしい」にも違和感。慈善じゃなくて権利なんだってば。

「やさしい」とは確かに不用意の言葉であったが、これを「池田氏がやさしければ慈善活動を肯定(奨励)するだろう」という意味でとられるとは思わなかったので補足。

前回エントリの一つの論点は、「慈善ではなく権利」ではなく「権利をどのように実現するか」である。

労働市場の機能を最大限に重視する池田氏は、負の所得税による所得再分配による生存権社会権の保障に賛同するだろう。

一方、私は、池田氏同様、労働市場生存権社会権の保障の道具として用いることには懐疑的だが、政府による所得(再)分配には、池田氏以上に多くのものを期待するだろう。

また、「労働市場生存権社会権の保障の道具として用いることには懐疑的」とはいったものの、労働市場がこれからも多数の人々の生活保障の中核になり続けることは明らかなので、あまりラディカルな労働の規制緩和を主張せず、より穏当で保守的な調整によって、労働者の生存権社会権が市場と政府によって補完的に保障されていくことを望むだろう。残念ながらその具体像を描く能力は私にはないのだが。

さらに、右派が賛同する負の所得税による所得再分配は非常に慎ましいものになるかもしれないし、そのあたりも重要な論点となりうる。
(少なくとも池田氏は、負の所得税による最低所得保障を肯定しており、負の所得税のエントリで「現在の生活保護よりはるかに高い最低所得保障が可能」とまで書いている。)

「慈善から権利へ」は福祉国家を考える上では非常に大切な視点でありつづけると思うが、今回はあまり関係ない。今回の論点は、「慈善ではなくて権利」ということを前提とした上で、ではその権利を、労働市場社会保障・税を使って、どのように保障するのが望ましいか、ということだ。

*引き続き、マクロ経済政策の話がなくてすみません、と一応言っておく。

追記:
ブクマで

『「権利をどのように実現するか」が重要とのことですが、池田信夫氏は「人権なんて迷信」と主張しているわけで、そもそも池田氏が権利を目的としているのどうか怪しい気がするのですがどうでしょうか?』

というコメントを頂いたが、池田氏が「人権は迷信」といっているのは、「権利は本質的には定型的な契約にすぎず、絶対不可侵の自然権ではない」という文脈での議論(というよりも読者の目を惹くためのキャッチフレーズ)なので、「人権は迷信だから無視してよい」という意味ではない。

従って、池田氏のような立場でも、慣習によって形成された人権(生存権社会権含む)に一定の正統性があれば、その権利の実現を目的とした制度設計を支持することは十分あり得るし、「人権は迷信」という言葉とも矛盾しない。と思う。こういう話は勉強不足でよくわからん。

そろそろネタぎれなので休もう。