研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

『福祉国家と社会保障の実証分析:日本についての研究を中心に』(『経済セミナー』寄稿記事)

2018年4・5月号の『経済セミナー』に福祉国家社会保障の実証分析——日本についての研究を中心に」という文章を寄稿した。

そのドラフトのウェブ・ブログ掲載についても許可を頂いていたのだが、怠惰にも1年近くたってしまった。ドラフトのPDF版もアップしたが、本ブログには全文コピペする。そのうち、この記事の背景にある問題意識について何か書きたい。

 Dropbox - 180220Keisemi_welfare_draft.pdf

 

福祉国家社会保障の実証分析——日本についての研究を中心に」

『経済セミナー』 2018年4・5月号 通巻 701号 掲載記事ドラフト)

 安藤道人 2018.2.20

1. はじめに

福祉国家」と「社会保障」は似て非なる概念である。両者はともに「税金や保険料を財源に、年金・医療・介護・保育・生活保護などのための公的給付を行う」という国家のあり方を指すものの、前者は社会保障制度を有する国家全体のあり方を思い起こさせるのに対し、後者は個別の社会保障制度を想起させる。また、「福祉国家社会保障は何の影響を受けているのか」という問いと「福祉国家社会保障は何に影響を与えているのか」という問いも異なるものである。前者は福祉国家社会保障そのものの形成・成立過程を主たる関心としているのに対し、後者は福祉国家社会保障がどのような社会的・経済的帰結に繋がるのかに興味を抱いている。

本稿では、「福祉国家は何の影響を受けているか」(問A)と「社会保障は何に影響を与えているか」(問B)という二つの問いについて、経済学や隣接社会科学での実証研究(とりわけ日本についての研究)を紹介し、その意義を伝えたい。また問Aと問Bの関係や、最近の経済学研究ではどのようなテーマの研究が多いのかについても言及する。

また本稿では、あえて学術論文を中心に取り上げる。多くの入門書・教科書・学術書に記載されている事柄は、学術論文という形で最初に発表されることが多いため、初学者にもそのような学術研究の雰囲気の一端を感じて頂きたい。なお本稿で取り上げる研究は、福祉国家社会保障についての膨大な研究のごく一部の切り取りである。そしてこれらの研究の分析結果は「確固たる真実の発見」ではなく、常に再検証されるべき暫定的知見であることも留意してほしい。

2. 本稿では議論しないこと

本論に入る前に「本稿では議論しない重要なこと」について簡単に触れたい。それは福祉国家および社会保障の制度的・時事的側面と経済理論的側面である。まず日本の社会保障の制度的・時事的側面については、近年次々と出版された元厚生労働省官僚の本(中村 2016, 2017, 香取 2017, 山崎 2017)や、昨今の社会保障改革に深くかかわってきた経済学者による解説書(権丈 2017, 2018)などが有益である。経済理論的側面については、経済学理論の観点から社会保障を解説した教科書として林・小川・別所(2010)、Barr(2012),小塩(2013)、駒村他(2015)などがあり、これらの本をミクロ経済学マクロ経済学の入門書を通読した後に読むとよい(なおBarr(2012)の翻訳はないがBarr(2001)の翻訳がある)。これらの本や、これらの本で言及されている様々な異なる立場の「社会保障論」を手広くマッピングして、社会保障についての自らのスタンスを定めることが大切と考える。

3.福祉国家は何に影響を受けているか(問A)

それでは「福祉国家は何の影響を受けているか」(問A)というテーマに入ろう。ここで「福祉国家」とは、「一定規模以上の社会保障制度を有する先進諸国」程度の意味で用いる。このテーマについては、経済学・政治学社会学で多くの理論的・実証的研究が行われてきた。本稿では、戦前についての計量経済史の有力研究であるLindert (1994)、戦後についてはEsping-Andersen(1997)を取り上げる。

まず、著名な経済史研究者ピーター・リンダート(カリフォルニア大学デービス校教授)による先駆的業績であるLindert(1994)は、1980年から1930年という福祉国家の萌芽期において、当時の先進諸国の社会的給付(福祉、失業、年金、医療、住居への公的給付)の上昇を支えた要因が何であったのかを分析している。具体的には、1980年から1930年までの欧米や日本などの21か国のパネルデータを収集・整理し、これらの国々の社会的給付の水準の動向を把握した上で、様々な回帰分析によってその決定要因を検証している。

この研究の重要な分析結果は、第一に、戦前期の社会的給付の水準はイギリスやドイツなどの「福祉国家の先駆」とみなされる国よりもデンマークノルウェーなどの北欧諸国のほうが(少なくとも1920年代半ばまでは)高水準であったことであり、日本やアメリカは(戦後と同じく)低水準であったことである。第二に、このような社会的給付水準の要因としては経済水準や経済成長よりも民主主義(投票率や女性の投票権など)、人口高齢化、宗教が重要であったことである。さらにこの論文では、戦前の日本について、経済水準はもとより人口高齢化や民主主義も進んでおらず、それら全てが低水準の社会的給付の要因であったと言及している。なおリンダートの一連の研究はLindert(2004)としてまとめられている。

次に、戦後の日本の福祉国家のあり方を論じたEsping-Andersen(1997)を見てみよう。この論文は、近年の福祉国家研究に多大な影響を与えた社会学者であるイエスタ・エスピン=アンデルセン(ポンペウ・ファブラ大学教授)の古典的研究であるEsping-Andersen(1990)を踏まえた、日本についての研究である。Esping-Andersen(1990)は、その後のEsping-Andersen(1999)と合わせて福祉レジームの3類型論(社会民主主義自由主義保守主義)を打ち出した実証的研究として知られている。しかしエスピン-アンデルセンの一連の福祉国家研究は、ただの類型論ではなく、労働者階級が農民階級やホワイトカラー層などを政治的に取り込んで社会民主主義的な政治勢力を形成できたか否か、そしてその結果として新中間階級がどのような政治的立場をとったか、といった階級連合のあり方こそが福祉レジームの分岐にとって重要だったという考え方(権力資源論)を1つのベースとしている。

このような観点から日本の福祉国家のあり方を論じたEsping-Andersen(1997)を見てみよう。この論文の結論を要約すれば、「日本の福祉国家のあり方は自由主義(例えば選別的・残余的な福祉システム)と保守主義(例えばコーポラティズム的な職域別の社会保険や家族主義的な社会制度・労働市場)の混合物のように見えるが、日本の福祉システムはまだ発展途上であり、結論を下すのは時期尚早である」というものである。日本型福祉国家の形成要因については明示的に触れられていないとはいえ、社会民主主義的な政治勢力の欠落によって普遍主義的・社会権的理念が弱く、コーポラティズムや家族主義に基づく職業的・身分的・性別的分断がみられるという日本の福祉国家理解は今なお示唆に富む。

4. 社会保障は何に影響を与えているか(問B)

次に「社会保障は何に影響を与えているか」(問B)というテーマに移ろう。このテーマは経済学では伝統的なものであるが、近年、分析手法の方法的発展が進んだことにより、急速に実証的知見の蓄積が進んでいる。ここでは医療、介護、保育という3つの領域における近年の日本の研究を1つずつ紹介したい。なお以下の3論文の分析手法の説明は、あくまでそのエッセンスの紹介であることに留意されたい。

まず医療については、近藤絢子(東京大学准教授)と重岡仁(サイモンフレーザー大学助教授)によるKondo and Shigeoka (2013)を取り上げる。この論文は、1961年に達成された「国民皆保険」政策が、日本の医療サービス利用・供給にどのような影響を与えたかを分析したものである。本研究の分析デザインは、国民皆保険実現前の健康保険の被保険者割合が低く皆保険達成によって被保険者割合が大きく(強制的に)引き上げられた都道府県における医療アウトカムの変化と、もともと被保険者割合が高くて皆保険達成による被保険者割合の上昇があまりなかった都道府県の医療アウトカムの変化を皆保険達成前後に渡って比較するというものである。その結果、皆保険達成が、医療サービスの利用水準の上昇やベッド数にプラスの影響を与えた一方、病院数、医師数、看護師数などへの影響は明確ではなかったという分析結果を得ている。

次に介護については、日本の介護保険の導入が介護を必要とする家族がいる人々の労働参加に与えた影響を分析した、富蓉(早稲田大学助手)らの研究チームによるFu et al.(2017)を紹介する。2000年から施行された介護保険は、前段で紹介した健康保険とは異なり、もともとどの地域にも公的介護保険が存在しなかったところに全国一律で導入された。したがってKondo and Shigeoka (2013)のような「もともとの被保険者割合の地域差」を利用した地域間比較の分析を行うことはできない。そこでFu et al.(2017)は、「2000年の介護保険の導入によって、要介護状態の家族がいた人々の労働参加率の変化が、そうでない人々の労働参加率の変化と比較してどう変わったか」という分析を行っている。その結果、介護保険の実施によって要介護状態の家族を抱える人々の労働参加率は上昇したとの結果を得ている。また本論文は、同様の分析アプローチによって、2006年の(介護保険支出の抑制を一つの目的とした)介護保険改革が要介護家族を抱える女性の労働参加率を減少させたという分析結果も得ている。

最後に保育については、保育所が子どもの発達に与える影響を分析した山口慎太郎(東京大大学准教授)らのYamaguchi et al.(2017)を取り上げる。医療や介護と異なり、そもそも保育においては、新しい制度の導入という歴史的画期が近年の日本には存在しない。そこで本論文は、2000年代における保育所の供給量の伸びや入りやすさの変化に地域差があるという事実を利用しつつ、保育所に入所した児童としなかった児童を比較した分析を行っている。その結果、保育所への入所が、幼児の言語発達および低所得層においては幼児の心理発達や母親の子育て・生活の質などにプラスの影響を与えることや、保育所のプラスの効果をより享受できるはずの層ほど保育所に入所しない傾向があるという知見を得ている。

5. 問Aと問Bの関係および近年の経済学研究の動向

ここで問Aと問Bの関係について考えてみよう。この2つの問いには、2つの違いがある。第一に、問Aでは福祉や国家は社会・経済事象の結果と捉えられているのに対し、問Bでは社会保障は原因と捉えられている。第二に、問Aでは福祉国家という国家のあり方に関心があるのに対し、問Bでは社会保障の個別政策が検証対象となっている。つまり、これらの違いを踏まえれば、「社会保障(の個別政策)は何の影響を受けているのか」(問A’)および「福祉国家は何に影響を与えているのか」(問B’)というテーマもあることが理解できる。紙面の都合で紹介できないが、実際、問A’や問B’に関する実証的研究も多く存在する。また社会保障の個別政策は福祉国家の一翼を担っていることを踏まえれば、問Aと問A’や問Bと問B’の間には明確な境界線はないとも言える。

ただし、これらの研究テーマの違いは、単に研究者の関心対象の違いのみから生じるわけではない。例えば、近年の多くの計量経済学的研究は問Bに集中している。これは、問Bの範疇に属する仮説に答えるための分析手法(ミクロ計量経済学における政策評価分析や統計的因果推論)が大きく発展したことと関連している。また、その発展も踏まえたいわゆる「エビデンス・ベーストの(証拠に基づく)政策立案」の重要性が喧伝されていることから、今後も問Bに属する経済学的研究が増えることが予想される。

6. おわりに

ここまで、経済学の実証研究を中心に、福祉国家社会保障と社会・経済事象の因果関係についての研究を紹介してきた。最後にこれらの研究の社会的意義について述べたい。

第一に、日本の福祉国家のあり方の背景として、民主主義の未発達や人口構造(戦前)や社会民主主義政治勢力の欠落やコーポラティズムや家族主義に基づく職業的・身分的・性別的分断(戦後)などが指摘されてきた。今や世界一の高齢社会国家となり社会的支出の水準もOECD平均を上回りつつある日本は、有力な社会民主主義勢力を欠いたまま、社会保障制度における各種の分断や限界を乗り越えることを迫られている。日本の福祉国家形成において重要な役割を果たしたファクターを絶えず再検証し、今後の改革の方向性や可能性を探るにあたって、これまでの福祉国家研究は重要な道しるべとなると思われる。

第二に、個別の社会保障政策の政策効果の研究蓄積が進むにつれて、医療・介護・子育て・貧困などの様々な領域での制度導入・廃止・拡大・縮小が多様な社会・経済的アウトカムに与える影響のあり方やその大きさがより詳細に明らかになることが期待される。とりわけ、時事的に問題となりやすい社会保障の財政負担のみならず、受益者本人、家族(とくに女性)そして子どもに与える広範な影響や、それらが再び社会・経済に与える影響の解明は、今後の社会保障政策の方向性を市民・政治家・官僚らが検討・決定する際の重要な判断材料を提供するはずである。

参考文献

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