研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

紹介+雑感 吉原直毅『マルクス主義と規範理論』

吉原直毅『マルクス主義と規範理論』
http://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/marukusutokihan3.pdf

密度の濃い、勉強になる論文である。こういうの読むと、やっぱり数理経済学をバリバリやったほうがクリアにいろんな考察ができるんじゃないかな、と思ったりする。

だが、そうじゃない方向に進んでしまったのは、ただ自分の数学的センスに自信がないだけではないんだと思う(それももちろんあるが)。結果的にどうなるかはわからないが、自分が何をどのように考察したいのかをもっと詰めていかないと、ダメだ。
上記論文から、長めの抜粋を三つ。表題の付け方は適当だが。

・「搾取」概念と労働所有権思想について

例えば、資本主義経済システムを労働搾取の再生産システムであると評価し、批判するマルクス主義の論理展開そのものが、ある特定の規範理論を暗黙裡に前提しているといえるのである。つまり、労働者の提供する労働時間よりも労働者が賃金収入を通じて取得する必要労働時間の方が短いという現象がなぜに「搾取」という批判的含意を伴う言語で定義付けられるか、という事から、マルクス主義の搾取理論がロック主義的な労働所有主義はロック主義的な労働所有権思想を前提にして資本主義批判理論を展開している事が伺われるのである。この事に無頓着なまま、搾取の存在をもって資本主義の本質的特性としての分配的不公正の証拠であると主張しても、限界生産力説的分配理論を妥当と考えている新古典派経済学者に対しても十分に説得的な、洗練された議論を展開する事は出来ない。「搾取、搾取というけれど、いったい何が悪いの?」という疑問に対して、説得的な返答を出来るための規範理論的基礎付けが、マルクス的労働搾取論にとって必要なのである。

さらに言えば、マルクスが人類の理想社会における資源配分基準を「能力に応じて働き、必要に応じて取得する」と定式化したことに見られるように、マルクス主義の分配に関する本来の規範的基準はロック主義的な労働所有原理ではなく、「必要原理」である。マルクス以来の伝統で、マルクス主義は「必要原理」を適用できる人類の理想社会を、生産力が無尽蔵に発展した豊かな社会として描き、将来の人類の課題へと棚上げする事で、「必要原理」の規範的含意についての独自の探求をも棚上げしてきたといえる。しかし、現代の福祉国家システムや社会福祉制度をどう評価し位置づけるかという問題を考えても、生産力の無尽蔵な発展を前提する事無くとも適用可能な形での、つまり現代の生産技術水準の下でも実行可能な資源配分に関して言及できる「必要原理」の定式はいかように構成されるべきかという問題は、きわめて今日的な課題なのである。現代的な課題に適用できるような「必要原理」に関する十分に吟味された規範理論的基礎付けが与えられたならば、マルクス主義は現代福祉国家システムや社会福祉制度を巡る評価の問題に関して、より積極的な発言なり提言が出来たであろう。

・市場的厚生と非市場的厚生

もう少し具体的に言えば、完全競争市場がもたらす経済的資源配分の効率性は、個々人の私的財消費から得る満足という意味での社会的厚生を確かに最大化すると言える。しかし人々がその人生を通じて彼の厚生を高める要因は、経済的な私的財消費によって享受する満足だけではない。人々は、良き家族関係、友人関係、隣人関係の存在によってしばしば自らの人生に幸福を感ずる事に見られるように、他者とのよき社会関係・コミュニケーションを形成する事を通じて豊かな良き生を享受しているという側面があり、また、新鮮できれいな空気や水、さらには新鮮な食生活にどの程度恵まれているかという点が、個人の人生評価に大きく影響する事からも見出されるように、豊かな自然環境に囲まれる中で地球に生息する生物として健康な生活を維持する事を通じても、豊かな良き生を享受していると言えるのである。社会的厚生の達成水準を規定するこうした非市場経済的社会生活の諸側面が、経済的資源配分がより完全競争的な市場に委ねられる事を通じて、果たしてより改善される方向に進むか、あるいは逆に市場がもたらすより効率的な私的財消費の満足の達成とは代替関係にあるのかは、一概には明らかではないように思われる。少なくとも「厚生経済学の基本定理」が主張するような、完全競争市場を通じた経済的資源配分による社会的厚生の最大化という議論における「社会的厚生」の規定項目には、私的財消費による満足度は構成要素として入っていても、上記のような非市場経済的社会生活の諸側面を反映する項目も含むものであると主張する事は出来ないであろう。

・資本主義経済と市場経済と生産手段の所有

このように考察してくると、資本主義経済システムの問題として、マルクス主義が批判し、告発しなければならない点は、「不等価労働交換」という搾取の存在それ自体であるべきではないように思われる。資本主義経済システムを単なる市場経済システムとは概念的に区別させる本質要因こそ、先に見たように生産手段の不均等的私的所有であったのであるから、批判されるべきは生産手段の私的所有制でなければならないであろう。では、生産手段の私的所有制のいったい何が悪いのであろうか?現代の市民社会に存する多くの市民は、私的所有制を個々人の不可侵な自然権の体現であるとするロック主義的社会契約論を受容する教育を受けてきているのである。・・・・