研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

介護保険の包括払いについて

『3大サービス重点的に見直し 包括払いの導入求める 社保審介護予防WT 中間報告まとめ』
http://www.wam.go.jp/wamappl/bb01News.nsf/vCat10/12C467F896EEF94B49257073000D0782?OpenDocument

細かい制度の話にはついていけないのだが、包括払いについてちょっと疑問があるので述べよう。包括払いに経済学者が何を期待しているかというと、どうもソフトな予算制約問題における「事後から事前へ」という発想と似たような思惑があるらしい。「ソフトな予算制約」とは、

「もともと社会主義経済における公企業と政府の間の財政関係を特徴付けるために用いられた概念であり、具体的には、財政困難に陥った公企業への政府による救済を意味する。」

赤井伸郎・山下耕治・佐藤 主光(2003)『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』有斐閣 p97
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4641161933/250-6292354-6363464
この本の元ネタと思われる論文はこれ
http://www.mof.go.jp/f-review/r61/r_61_120_145.pdf

である。例えば、中央政府から地方政府に対して、「事後的」に財政赤字を補填するための補助金制度(例えば地方交付税)が存在すると、地方政府には財政赤字を改善するインセンティブが働かず放漫財政や非効率な経営を持続させてしまう、というロジックだ。だから「事前的」に補助金の額を決めてしまえば、地方政府の予算制約はハード化し、地方政府はもっと頑張って財政赤字削減と経営の効率化に励むだろう、というものだ。

このロジックそのものはよくできていると思うし、この理論が実証的にも正しいかどうかという専門的な議論は経済学者に任せておけばよい。ただ問題は、この「事後的給付から事前的給付への転換によるインセンティブ変革」という発想を地方自治体から個人に置き換えたときに何が起こるか、だ。

地方自治体においては、予算制約のハード化によるインセンティブ改革が有効に働いて、自治体の効率化が進んで(しかも誰一人の厚生を下げることなく、つまりパレート改善という形で)めでたしめでたし、ということがあり得るかもしれない。自治体経営の非効率性は、聞くところによると確かにひどいところも多いようだし、経営効率化のための何らかのインセンティブ設計は必要だろう。

しかし、個人に対する給付が包括払いという形で「事前的」になって予算制約がハード化されるということは、「必要のない医療や介護をやめる」という地点を踏み越えて、個人の「必要な医療や介護を仕方なしに我慢する」という事態(インセンティブ改革?)や医療機関介護保険事業所の「なるべく少ない医療・介護サービス供給ですまそう」という事態(インセンティブ改革?)を引き起こしかねない。包括払いという「事前的給付」にはそういう危険性がつきまとう。まぁそれこそが給付抑制側の狙いなのだろうけど。。。

ちなみに包括払いについては、障害者福祉でも議論の的になっている。

『第19回 障害者(児)の地域生活支援に在り方に関する検討会 報告』
http://www.j-il.jp/jil.files/siryou/kentoukai/arikata0707.htm

インセンティブという視点はいろいろな場面で大切であり、財政や社会保障の領域でも例外ではない。どのような税をかけたら、どのような給付形態にしたら、人々はどのように振舞うのか。このことをちゃんと考えないと制度や政策は上手くいかないことが多い。

だけど、人間というのは、ただの効用関数の主体ではないのである。インセンティブ設計によって生きるために必要な医療や介護を削減せざるを得なくなった人間はどうしたらいいのか。インセンティブ設計という強力な道具立てが、実際の人々の生活にどのような影響を与える可能性があるのかについて、学者や政策決定者はどの程度自覚しているのか。

まぁこれはインセンティブを扱う経済学者に限ったことではなく、政策について考える人たちみんなに言えることなわけだけど。例えば私は、福祉切捨てを従うような歳出削減には断固反対なわけで、となると安定した福祉財源の確保のための増税は必要だと考えている。

しかし、法人税増税は様々な理由からムリだろうと思っているし、所得税のさらなるフラット化には賛成できないが累進化にも限度があると考えている。また相続税増税しろって感じだけど、それだけだとたいした歳入増加にならないだろう。そして基本的には政府税調のいう所得税のぐちゃぐちゃした各種控除の撤廃には賛成だし、消費税の増税もやぶさかではないと思っている。だけど、これらの税制改革が各世帯やマクロ経済に与える影響について、綿密に調べたり考えたりしているわけではない。

ここらへんは今後の課題として、オチなしで終わります。

参考:
『経済学者に関するメモ』
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050329

スピーナムランドとか救貧法とかフェビアン協会とか少数派報告とかベバリッジプランとか、まさにナショナル・ミニマムや公共性の実現そのものを問題にしているイギリス社会政策学をちょこちょこと学んでいる私としては、「ナショナル・ミニマムあるいは公共性の実現といった原則に踊らされることなく」とバッサリ言われると(ToT)って感じなのだ。

参考文献:
インセンティブ設計の経済学』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326502436/250-6292354-6363464
序章
http://obata.misc.hit-u.ac.jp/~itoh/ch1rev.pdf
十二章は赤井氏による『公的部門におけるソフトな予算制約問題(Soft Budget)』

第12 章(赤井論文) は,バブル以降に公的組織の肥大化・非効率化が進展した根本的な原因として,すでに触れたソフトな予算制約問題(soft budget problem)に注目する.まずソフトな予算制約問題に関する多くの既存研究を4 つの流れに整理する.続いて契約理論によるソフトな予算制約問題の発生と予算の「ハード化」の可能性を,逆選択モラル・ハザードそれぞれのモデルで説明している.さらに実証研究の試みについて論じている.

序章より引用