研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

「生存権」と「政策的な利益衡量」

ちょうど最近、

メモ:移動介護費減額は違法&介護職の医行為実施へ試案を提示
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20100729#p1

を取り上げたということもあるし、2年くらい前から始まった

障害者29人、自立支援法で提訴 「1割負担は違憲」(47NEWS)
http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008103101000691.html

やその結果としての

障害者自立支援法違憲訴訟について(厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/minaoshi/02.html

も、ウォッチはしていないものの興味を持ってニュースなどを読んできたので、以下のエントリについて少しコメント。

real or fictional?
http://www.law.tohoku.ac.jp/~hatsuru/hop/2010/08/real_or_fictional.html

以下、抜粋。

(前略)
で,最近気になっているのは,policy questionのレベルでの議論。このレベルの議論であれば,あるpolicyを採用することによって誰にどういう利害が帰属するんだ,っていうことを分析していかなければいけないので,基本的には,「法人」って言われているものの背後にはいったい誰がいるんだ,ということを分析に見ていく法人擬制説的な考え方が妥当しやすい。
(中略)
ところが,他の法分野に行くと,そういう視点がごっそり抜け落ちてしまうことをしばしば見る。たとえば,憲法生存権の周辺とか。この場合,国とか地方公共団体とかっていう1個の切り離された存在があって,そこが何か必要な給付をしてないね,っていうことになると,「じゃあ給付しろ,給付しないのは違法or違憲だ」っていう結論に行きやすい。

けれども,そういう国とか地方公共団体っていうのは切り離された存在じゃなくて,僕ら国民・住民の税金で運営されているものだよね,っていうことになると,「そのように追加給付をするなら,その分,消費税(でなくてもいいけど)を上げるんですか」っていう話になるし,あるいは,「そのように基準を緩めるなら,不可避的に不当な受給者の割合も増えて,その分,無断な給付にたくさんの税金が回ってしまう(そしてその分,また増税する)けど,それでもいいんですか」っていう話になる。後者の例は,生活保護とか水俣病認定基準とかに当てはまる可能性があって,ひょっとすると,現行基準っていうのは,その辺のコスト・ベネフィットのバランスを考えて作られているのかもしれない。

それで結構すごいな,と思うのは,こういうタイプの訴訟で,提訴してくる原告(とその弁護士)は,自己利益だけを考える(=他の国民・住民がどうなろうと知ったこっちゃない)インセンティヴがあるので,そうするのは分かるんだけど,その場合に原告勝訴の判決を書ける裁判官。もちろん,原告勝訴の判決を書くべきケースがありうることは分かるけれど,もしも自分がその立場に立たされたら,「自分のような裁判官に,上のような色々な政策的な利益衡量をできるほど情報が集まっているのか?」っていう点は相当思い悩むだろうなぁ。

一読して思うのは、前半の法人税のところで議論されているような、負担の帰着や利害の帰属というおもに経験的事実に関する事柄(あるいは判断・判決において経験的事実を重視すべき事柄)についての議論を、生存権を争点とした裁判のように(社会全体を巻き込む)規範的判断を伴う事柄についての議論にダイレクトに繋げることはできないのではないか、ということである。従って、「そういう視点がごっそり抜け落ちてしまう」としうよりも、「そもそもそういう視点は基本的な争点とはならない」のではないか。もちろんブログ主は法律が(も)専門なので、それも踏まえての議論かもしれないが。

例えば上記の自立支援法関連の裁判で、裁判官が「たしかに障害者の生活の実態は憲法で謳われている生存権の理念にもとる。しかし、今の日本の民意と財政の状況を鑑みて、色々な政策的な利益衡量をした結果、原告勝訴とすることによる社会的損失(増税による国民の負担感の増大)が大きいと判断されるので、原告の訴えは認められない」なんて判決文を出したらそれこそおかしいだろう。そういう「政策的な利益衡量」は、筋としては、判決を受けた上で、国民が政治の場で議論して解決していくべき問題だろう。そしてそこにこそ、「色々な政策的な利益衡量」を経験的・規範的にきちんと議論する能力のある専門家たち(がどの程度いるのかは不明だが)の出番があるのではないか。

ずぶの法律の素人なのでよくわからないことが多いが、私は、弁護士にしろ検察にしろ裁判官にしろ、法実務に係る人たちには、ある程度、「マクロな帰結は知らんが(それを明らかにするのは学者の仕事)、目の前のこの事象は、現行の法や憲法の下では違法・違憲だから、(学者も含めて)社会は解決策を探求すべし」という感じで振舞ってもらわなければいけないし、実際にそう振舞わざるを得ないと思っている。

正直、ここまで書いてみてももやもやするところが多々ある。確かに一次的には「生存権」の議論と「政策的な利益衡量」の議論は切り離せるし、そうすべきだと思っているのだが、もちろんそう単純ではありえない。気が向いたら、私よりもこういう議論を得意とする人たちにアドバイスを求めたい。残念ながら、今の自分の頭で独力で考えるのは効率が悪いので、このくらいの軽いメモにするのが丁度いい。ほんとうはもっとどっぷり考えてみたいのだけれども。