研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

政策大学院と官僚制と福祉

前回、「政策エリートについて」
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050411
において、主にイギリス系の社会政策学や障害者運動(及び障害学)などを念頭において、なんで「生活と政策を繋ぐ」学問がうちの政策大学院にはないんだろうとぼやいていたわけだが、今回はウェーバーの言葉を思い出したりしてみた。

 しかしまた、近代的官僚制にとっては、「計算可能な規則」という第二の要素が、本来的に支配的な重要性をもっている。近代文化の特質、わけてもその技術的・経済的下部構造の特質は、正にこの・効果の「計算可能性」なるものを要求している。完全な発展をとげた官僚制は、特殊的な意味において、「怒りも興奮もなく」sine ira ac studio という原理の支配下にもあるわけである。官僚制が「非人間化」されればされるほど、換言すれば、官僚制の徳性として賞賛される特殊の性質ーー愛や憎しみおよび一切の純個人的な感情的要素、一般に計算不能なあらゆる非合理な感情的要素を、職務の処理から排除するということーーがより完全に達成されればされるほど、官僚制は、資本主義に好都合なその特殊な特質を、ますます完全に発展させることになる。個人的な同情・恩恵・恩寵・感謝の念に動かされた、旧秩序のヘルの代りに、近代文化は正に、文化が複雑化し専門家すればするほど、それを支える外的装置のために、人による偏頗のない・したがって厳に「没主観的」(ザッハリッヒ)な専門家を要求する。

M・ウェーバー『支配の社会学Ⅰ』創文社 pp.93-94

この「没主観的」な専門性が近代官僚の徳性ならば、「生活当事者の立場にたった行政」などという言葉は、形容矛盾になってしまうのだろうか。たしかに資格制度一つとっても、行政における画一性・一貫性・専門性の要求は生活者の利益とぶつかることがよくある。これは行政が存在する以上、なかなか回避できない原理的な問題だろう。

だけど、行政の論理と生活者の利益をどうにか繋ぎ合わせるような、上手い妥協点やシステム設計がどこかにあるだろう、と思うのだ。政策大学院の話を戻すと、そういうことを考えられる人をもっと増やしてもいいだろう。そしてそういう人になるためには、行政の論理とともに、生活者の利益についても、謙虚に知り、学び、考えることが求められる。

となると、やっぱり経済学や法学だけでは十分ではないよなぁと思う。しかし、だからといって、どちらかというと「生活の現場」に関心のある社会福祉学ソーシャルワークなどを学べばいいのかというと、そういう学問ですら(だからこそ?)、生活の当事者からはあまり評判がよくなかったりすることもある。さらに生活の当事者自身の評判が悪かったり、となんだかぐちゃぐちゃすることもある。

さらに障害者福祉と高齢者福祉の違いを見ればわかるように、権利意識の違いが、求めるサービス形態やサービス水準の違いにも繋がってくる。その場合、「福祉とはどうあるべきか」とか「権利とはどうあるべきか」という、規範的な問いも浮上してくる。しかも、実際の生活上の具体的問題と向き合いながら、そういうことを考えなければならないのだ。

かくも「生活者の利益」について考えるのは簡単なことじゃない。ちょっとおおげさかもしれないが・・・。

ただイギリスの社会政策学者ティトマスが晩年に述べた次の言葉の中には、人間の福祉に関する一つの真実が含まれていると思う(日本語訳がひどい本だった)。収拾付かないし天気もいいのでこの引用を最後に私は外出することにする。

 私が提言したことや、私が著書の中で述べた事柄のなかで、私は、私がソーシャル・グロース(social growth)と名づけた事項に言及したことがある。(中略)これらは寸法や量目ではかることはできない指針であるが、人間相互関係の本質に関連している。これらの指針は推計することはできない。それは、私の友人ーー経済学者が私に語ったように、すべての緑書や中央統計局のあらゆる出版物のなかでも計量されていない。たとえば、国民保険サービスが私の友人ビルに使った費用、その他次のような支出については、いかなる説明または声明のどこにも見出すことはできないのであるーー公営住宅、四六時中の付添い人の手当て、毎日のホーム・ヘルプおよび給食奉仕活動(52歳の、ビルの妻は昨年失明した)、病人用椅子、特殊ランプ、病人向きの便所や台所、低めにしつらえた台所の流しや高めにした荷やの休息所(地方公園課で提供した)など。ビルは事実上、社会的正義の哲学や公的責任が、その能力と涵養の精神をもって細部にわたる完全な行動に移された場合に、正義や人間関係について理解ある社会が達成できる結果を示す一つの実例であった。

R・M・ティトマス(1974)『社会福祉政策』(原題」Social Policy:An Introduction) 恒星社厚生閣 p.186(あとがき)